28歳エジプト人がパリのルーブル美術館を斧で襲撃

パリのルーブル美術館近郊で2月3日、斧を持った28歳のエジプト人男性が「アラー・アクバル」を声を上げ、警備をしていた兵士のグループに襲いかかり、兵士らによって銃撃され病院に運ばれた。兵士の側は一人負傷したという。TIME(原文英語)など各紙が伝えている。

ルーブル美術館はパリの中心部にあり、常に観光客であふれている地域だが、一般人に被害はなかったようである。しかし130人が死亡した襲撃事件の記憶も新しいパリ市民にとっては新たな恐怖が刻まれたことになる。

フランスのオランド大統領はこの事件を「間違いなくテロ行為」であると断じており、容疑者が事情聴取を受けられる状態に回復し次第事態を明らかにすると述べている。

また、The Independent(原文英語)は容疑者の父親の意見を報じている。その人物はニュースでこの事件を知ったとのことであり、以下のように驚きを表明している。

息子は生きているのか? 死んだのか? それは本当に息子だったのか?

父親は自分の息子がこのような事件を起こしたという報道が信じられないようである。現場に居たわけでもないようだが、以下のように容疑者の関与を否定している。

彼らは哀れな若者に残酷な武力行使をした兵士について謝ったり正当化したりする必要がないように事実を隠蔽している。

若い男がテロを企てるために刃物しか持っていなかったという状況は理解しがたいと思う。もし息子が銃やライフルでも持っていたというのであれば、それが事実だと信じよう、しかしこれでは状況が良く分からない。ただ真実が知りたいのだ。

この父親が状況について判断出来る情報を持ってこう主張しているとは想定し難いが、武装した警備員で守られたルーブル美術館を斧で襲撃できると考えるのは確かに不合理である。一方で、こうした事件を起こす人間が合理的な考えをしていると考えることも同時に不合理である。

ヨーロッパを襲撃する移民の心理

日本で不自由なく生活している日本人の多くには、こうした事件を起こす人間の心理は読みづらいだろうが、ヨーロッパで襲撃事件を起こした移民の大半は、殺人を行なって成功裏に逃げ切ることが目的だったのではない。その裏には異文化の土地で困難と貧困に喘ぎながら暮らした長い時間があり、あるいは長年抱えたヨーロッパへの歴史的恨みがあり、その結果出来上がった鬱屈した感情を何らかの形で表現することが目的だったのである。そうしなければならなくなるほど彼らは追い詰められているわけだが、そうしたことを不自由なく暮らしている先進国の人間が理解するのは難しい。

今回の事件がそうした犯行だと断定するものではないが、仮に彼がそうした一人であったとすれば、斧で警備員に襲いかかったということが不可能な事態というわけではないことになる。容疑者はまだ事情聴取に応じられる状態ではないということであり、この段階で邪推をしても無駄というものだろう。

また、The Independentによれば容疑者のものと思われるTwitterアカウント(現在は凍結済み)が発見されており、そこには彼の写真が掲載されているほか、襲撃の直前にアラビア語で以下のメッセージが投稿されていたという。

交渉も妥協も譲歩も、そして当然降伏もない。容赦ない戦争だ。

やや芝居がかり過ぎているとは思う。しかしそれが示唆する可能性は複数あり、断定することは出来ない。

結論

ここではフランス側、父親側のどちらの肩を持つこともなく、ただ事実だけを報じてゆく。しかし確実なことが一つある。グローバリスト達が安い労働力を確保するという利害のために世界中に移民政策を押し付けることなく、そして西洋が中東を侵略しなかったならば、こうした悲劇は起きなかったということである。

何度も言うように、移民政策は現地市民と移民の両方を、そしてこういう事件においては襲撃された側だけではなく襲撃した側をも不幸に追い込む政策なのである。安倍首相はユニクロなどグローバル企業の利益のために人殺しになろうとしている。