世界最大のヘッジファンド: オランダ海洋帝国が繁栄した理由

世界最大のヘッジファンドBridgewaterを運用するレイ・ダリオ氏による歴史の授業である。ダリオ氏はアメリカが覇権を失い中国が新たな覇権国家になると主張している。

その自説の証明のためにLinkedInのブログ投稿で過去の覇権国家の繁栄と衰退をレビューしていっているのだが、今回はイギリス帝国の前に繁栄したオランダ海洋帝国の物語となる。

海洋帝国オランダ

ダリオ氏の話はオランダが海洋帝国となる前の話から始まる。

16世紀にはスペイン帝国が西洋では覇権国家であり、東洋では中国の明朝が覇権国家だった。スペインと明では明の方が強大だった。

当時、明は世界最大の覇権国家だった。豊臣秀吉が朝鮮出兵で明に喧嘩を売ろうとしたのもこの頃である。そしてオランダはまだスペイン帝国の一部だった。

その時スペインは現在ではオランダと呼ばれている小さな領土を支配していたが、1581年に力をつけたオランダがスペインに反旗を翻す(訳注:オランダ独立戦争)と、オランダはスペインと中国を追い越して1625年から1780年まで世界最大の国であり続けた。

スペイン帝国の極一部に過ぎなかったオランダは何故そこまで成功出来たのだろうか。ダリオ氏は次のように分析する。

オランダ人は非常に優れた教育を受けていた人々で、発明に長けていた。実際に17世紀の主要な発明品の25%は当時最盛期のオランダ人によるものである。オランダ人の生んだ発明のうち重要なものは、まず世界を周ることのできる優れた船舶で、ヨーロッパ内での戦争で身につけた軍事力を使って世界中から富を集めることができた。そしてもう一つの発明はその動力となった資本主義である。

「軍事力を使って世界中から富を集めることができた」とさらっと書いているが要するに強盗である。資本主義の方は、なかなか興味深いダリオ氏の議論に繋がってゆく。

資本主義とは何か

また、このオランダの例でダリオ氏は資本主義の本質に触れている。ダリオ氏はこう主張している。

オランダ人は資本主義的なやり方で資源を分配しただけではない。そもそもオランダ人が資本主義を発明した。

これはどういう意味だろうか? ダリオ氏はこう続ける。

資本主義とはわたしの意見では公共の債券および株式の市場のことである。もちろん生産活動はそれより前にも存在したが、それは資本主義ではない。貿易も存在したが、それは資本主義ではない。個人の所有権も存在したが、それは資本主義ではない。資本主義とは、わたしの意見では大勢の人々が共同してお金を貸し、営業活動の所有権を買うことのできる仕組みのことである。

オランダ人は公共の場で株式を取引できる世界初の株式会社、つまりオランダ東インド会社を作り、世界初の株式市場を作り、世界初の効率的に借金のできる金融システムを作ったとき、資本主義を発明したのである。

特にオランダ東インド会社は重要である。オランダ東インド会社とは反旗を翻した相手のスペインに海洋貿易(と侵略行為)で対抗するため1602年に複数の商社を纏めてオランダが作った世界初の株式会社である。

株式会社とは今では誰でも知っているように、新しい事業を始めたい起業家に事業を始めるお金がない場合、投資家が出資をして事業を可能にする仕組みのことだが、株式会社が存在する前までは事業アイデアと資金の両方が事業家本人になければ事業は難しかったのである。

この革新的なアイデアは当然ながらオランダのGDPを爆発的に増加させた。株式がなければ不可能だった多くの事業が可能になったからである。ダリオ氏の言いたいのは、オランダやイギリスやアメリカが覇権国家になるためには、そうした革新がなければならなかったということである。その点でオランダの株式市場の発明はイギリスの産業革命にも劣らない業績だろう。

世界初の基軸通貨

また、オランダが世界で初めて船を使って大規模な侵略行為を行なったことは「基軸通貨」というおまけも生んだ。ダリオ氏はこう説明している。

オランダの通貨ギルダーは金と銀を除けば世界初の基軸通貨である。オランダは世界の大部分を支配した最初の帝国であり、自国の通貨を広く流通させることができた。

基軸通貨の威力は現在の投資家が一番痛感している部分かもしれない。何故ならば、アメリカが無制限の量的緩和を行なってもドルがそれほど下落しないのは、ドルが世界中で使われている基軸通貨だからである。

また、オランダが支配した金融市場は為替相場だけではない。ダリオ氏はこう続ける。

金融市場に関する無数の発明とオランダ自身の経済的成功によってアムステルダムは多くの投資家を集める世界最大の金融センターとなった。オランダ政府は集まった資金を様々な事業の債券と株式を賄うために利用した。最大の例はオランダ東インド会社である。

まさに現在アメリカが世界の金融市場の中心となっているのと同じであり、その現象が17世紀のオランダには既に存在したのである。

オランダ帝国の最期

しかしダリオ氏が言うように、どのような覇権国家にも終わりが訪れる。

覇権国家の最期として典型的なのは、まずオランダが徐々に負債を抱えていったこと、貧富の差や政治的派閥対立など内部で利害対立が発生したこと、そして軍事力が弱まっていったことである。

そして二番手のイギリスの国力は増していた。当初、イギリスはオランダと軍事協定を結んでいたが、海洋貿易での利害対立が続き、イギリスの力が強大になったことが明白となってくると、ターニングポイントが訪れる。ダリオ氏はこの状況を現在の米中の状況に重ねて見ているのだろう。

イギリスはオランダを攻撃した。そしてフランスなどの他国も海洋貿易の主導権をオランダから奪う好機と見なした。第4次英蘭戦争として知られるこの戦争は1780年から1784年まで続いた。イギリスは経済的にも軍事的にも勝利した。オランダはこの敗北によって破産し、オランダの通貨ギルダーはオランダ帝国とともに崩壊した。

オランダ帝国の物語はここまでである。しかしダリオ氏は面白い付録を続けて書いている。オランダ東インド会社はオランダ帝国によって認められた特権で商売をしていたため、この戦争で途方もないダメージを負ったのだが、オランダ東インド会社がオランダ経済にとってあまりに重要だったためにアムステルダム銀行はこれを潰すことができず、ギルダーを新たに印刷することでこの会社を救おうとしたのである。まさに今の量的緩和と同じである。

量的緩和はオランダ東インド会社を救うことができたのだろうか? 記事が長くなったので、この面白い話は次の記事ということにしよう。楽しみにしていてもらいたい。この話題に関する一般論は、以下の記事で読むことができる。