長期金利は本当に下落し続けるのか?

アメリカの長期金利が下落している。これを事前に予想した債券投資家のスコット・マイナード氏は金利下落はこれからも続くと言っている。しかしそれは本当だろうか? この記事では長期金利の見通しについて検証したい。

アメリカの長期金利

アメリカの長期金利は現状では以下のように推移している。

これまでの動きを振り返ると、コロナ禍の景気後退で一旦は急落した長期金利だったが、その後現金給付などの刺激策でインフレ懸念が出て上昇を開始、しかし最近になって現金給付など短期のインフレ要因の効果剥落が懸念されて金利は急低下した。マイナード氏は中央銀行の利上げとテーパリング(量的緩和縮小)示唆がインフレ懸念を後退させたとも指摘している。

そのマイナード氏の予想は、今後も金利は下がり続けるというものである。

長期金利の推移見通し

長期金利はどうなるだろうか。マイナード氏の金利低下予想の根拠をもう一度見直してみよう。彼は2008年から2012年までの金利の動きを持ち出して、今年もそれと同じようになると主張している。

2008年には(訳注:リーマンショックによる金利急落で)10年物国債の金利は2%の底値を付けた。2010年には景気が回復を始め、金利は4%まで上がったが、結局2012年には1.4%という新たな底値を付けることになった。

現在、リフレ的な圧力が高金利への道筋を作っているという、以前と似たような懸念が市場を支配している。物価はコロナ後の低迷からリバウンドするのは間違いないが、経済の大半に残された過剰生産能力と高い失業率を考えれば、どんな形の金利上昇も一時的なものに終わる可能性が高い。

2008年以後の長期金利の動きをチャートで見ると次のようになる。

リーマンショックによって金利は2008年の末に2%まで急落した。その後量的緩和などの政策で景気とインフレが持ち直し、2009年には4%の高値まで再上昇するが、2010年から再び下落し、2012年には1.4%まで下がることとなった。

問題は何故2010年から金利が下落を始めたかである。当時の相場に参加していた投資家も今ではそれほど多数派ではないのかもしれないが、思い返してみれば理由は明らかだろう。リーマンショック後追加で行われた2度目の量的緩和、いわゆるQE2である。

QE2は2010年11月に宣言されたが、QE2が行われるという観測は2010年半ばから存在した。それで金利が下がったのである。その後3度目の量的緩和であるQE3が2012年9月に宣言されたが、その観測が事前にあった2012年もやはり金利が下落した。

今の状況は当時に似ているか?

しかし今の状況は当時に似ているだろうか? Fed(連邦準備制度)は既に量的緩和を行なっており、先月のFOMC会合ではその縮小開始が示唆された。

新たな量的緩和の開始を市場が待っていた2010年や2012年の状況とは残念ながらまったく異なる。マイナード氏は株価が下落してFedは緩和再開を余儀なくされると言っていたが、そのためにはまず金利が上がらなければならない。しかし金利はここ数ヶ月むしろ下がっていて株式市場の脅威にはなりそうもない。

この状況を見て筆者が思い出すのはむしろトランプ相場の金利高騰後に金利が一時的に下がった2017年である。

2016年11月のトランプ氏当選の後に2.6%まで急騰した長期金利は2017年には一度2%近くまで下がったものの、その後再上昇し2018年に3.2%まで上がっている。その後の金利急落はここでも事前に報じていた世界同時株安の影響である。

今の状況が2017年のような金利急騰後の一時的な下落であるならば、数ヶ月の金利低下局面の後に金利は再上昇するということになる。今が2018年に近いなら、当時のように「金利高騰による」株価暴落の後に金利は低下することになる。

結論

しかし「高騰している金利」は現状では存在していない。したがって2018年型の株価暴落も起こりようがないだろう。起こるとすればFedがテーパリングや量的引き締めを開始することになるもう少し後のタイミングだろう。

ここまで驚異的に予想を的中させているマイナード氏の金利低下予想ではあるが、筆者には以上の考察により今は2017年のような一時的な金利低下だと考えるのが妥当に思えるのだが、読者はどう考えるだろうか。

金利低下が一時的である場合、再上昇のタイミングは3月の現金給付などの短期インフレ要因が物価統計から剥落する今後数ヶ月を経た後、つまり秋頃ということになる。

またそのタイミングによって株式市場でどういう銘柄に投資をすべきかも変わってくるだろう。その辺りについては以下の記事で説明したので、そちら参考にしてもらいたい。

もうすぐ最新のCPI(消費者物価指数)も公表される。今後の金利や株価に影響を与えることになるだろう。そちらも当然報じてゆくつもりである。