資本主義者ドラッケンミラー氏、アメリカの金融緩和終了を歓迎

かつてジョージ・ソロス氏の下でQuantum Fundを運用していたスタンレー・ドラッケンミラー氏がCNBCのインタビューでFed(連邦準備制度)の量的緩和終了と金融引き締めの開始についてコメントしている。

低金利時代の終わり

Fedは利上げと量的引き締め(バランスシート縮小)を行おうとしている。数年前にも同じことは行われ、2018年の世界同時株安に繋がった。

しかし今回の金融引き締めは中央銀行による自発的なものではなく、物価高騰を抑えなければならないという必要性に迫られてのものだという点で2018年とは根本的に異なっている。

それはつまり、Fedは自分の意思で金融引き締めを止められないということである。株価が暴落しても、インフレが続く限り、金融引き締めを強要され続ける。

これは1980年代のレーガノミクスから始まった金融緩和依存の時代の終わりである。これまでは金利を下げ、紙幣を印刷することによって経済を一時的に浮揚させることが出来た。アメリカの政策金利はこれまで以下のように推移している。

1945年の終戦から40年近くかけて上昇した金利が、40年かけて下落し、それが再び上昇しようとしている。われわれはそういう巨大なトレンドの最中にいるのである。

低金利を諦めた中央銀行

低金利の時代は終わる。少なくともパウエル議長はそう言っている。あるいは、そうしなければ物価が高騰し、人々は日用品を買えなくなるだろう。

これは40年もの間金利低下に依存し、借金によって自分が生産するよりも多くを消費してきた社会のツケを少なくとも今後10年の経済恐慌によって支払ってゆくということである。

金融緩和による人為的な市場バブルは資本主義の罪として語られることが多い。しかし面白いことに、レイ・ダリオ氏やジェフリー・ガンドラック氏のような生粋の資本主義者であるはずのファンドマネージャーたちは、一貫して金融緩和を痛烈に批判してきた。

金融緩和で無理矢理経済を支えれば、バブル崩壊と経済恐慌という形でツケを後で払うようになるということが市場の専門家である彼らには分かっていたからである。

そしてドラッケンミラー氏こそは、彼らの中でも特に強く、金融緩和を資本主義的ではないとして批判していた急先鋒だった。彼は以前次のように述べていた。

われわれのなかで十分に年寄りな者は、価格統制というものの危険性を実際に目にしてきた。市場で価格を恣意的にコントロールすれば、ものが不足したり、資源が無駄遣いされたり、消費者が本当に求めるものに投資がされなくなってしまう。

日銀がイールドカーブコントロール、つまり国債の金利と価格に制限を付けているように、量的緩和とは国債市場を恣意的に操作することである。

恣意的に操作された低金利によって、金利が高いままであれば借金の借り換えができずに潰れていたゾンビ企業が延命され、不要なものやサービスを作り続ける。それらは当然売れないので価格が下がってゆく。

それが1980年から40年続いたデフレと低成長の原因である。人々はそれをより良い製品を作ることによってではなく、緩和に依存することによって解決しようとした。それでますます低成長が酷くなり、コロナがきっかけで現金給付という禁忌に手を出すことになり、深刻なデフレは深刻なインフレと入れ替わり、低金利の時代が終わる。

資本主義市場の復活

ドラッケンミラー氏はFedがようやく金融緩和を諦めたことについて、次のように述べている。

もしパウエル議長が今後数ヶ月について語った通りにFedが行動するならば、われわれは債券市場のメッセージをもう一度聞くことが出来るようになるだろう。それが何であるとしても。

「それが何であるとしても」とドラッケンミラー氏は言う。現在、Fedは2年物国債の金利上昇に従って利上げをしようとしている。債券市場は金利上昇によるゾンビ企業の淘汰を指示しているのである。

債券市場の予想能力についてドラッケンミラー氏は次のように言う。

金利操作の時代以前には、債券市場と金利はわたしや95%の経済学者などよりも優れた景気見通しの予想者だった。

金利は景気が良くなりそうであれば上昇して過熱を抑え、景気が悪くなりそうであれば低下して景気を支える。これを無理矢理ゼロ金利に固定すると最終的には物価が高騰する。

株式市場でも同じである。消費者の求める製品やサービスを提供する企業の株価は上がって資金を集めやすくなり、誰も欲しがらないものを作る企業の株価は暴落して倒産する。株価を無理矢理上げれば世の中が不要なものであふれかえる。

誰がそんなことを望んだだろうか? リフレ派と支持率目当ての政治家である。だからダリオ氏は「政府が金融危機から守ってくれると思うな」と言ったのである。

結論

どの企業が経済活動を続けるべきで、この企業が続けるべきではないか、つまりどのような製品が作られるべきで、どのような製品が作られるべきではないかを、消費者の需要ではなく政治家が決定していたのが、市場が政府によって操作された世界である。

そのような政府を通常どのように呼ぶか? その名は共産主義である。そして彼らは東京五輪やGO TOトラベルのように、資金を経済成長ではなく票田への撒き餌を目的として振り分けるだろう。

金融緩和や財政緩和はまったく資本主義的でも市場原理主義的でもない。緩和は共産主義である。

そして市場原理主義とは消費者が何を必要としているかによって生産を決めるということである。

生粋の資本主義者であるドラッケンミラー氏は、これまで行われた金融緩和を次のように批判していた。

一体どれだけのゾンビ企業が緩和マネーによって延命され続けているのか、実際のところは誰にも分かったものではない。あらゆる個人が永遠に上昇すると思われている資産価格にとめどない量の資金を注ぎ込んでいる。

だがその時代も40年来の緩和バブル崩壊とともに終わる。人々はリフレ派の出鱈目を根拠なく盲信したツケを存分に払うことになるだろう。

しかしその後には馬鹿げた共産主義から解放された、本当の債券市場と本当の経済成長のある世界が広がっているだろう。市場暴落とともに資本主義がようやく帰ってくるのである。