国民投票でEU離脱を選んだイギリス人の凄まじい精神力

イギリスの国民投票についてはリアルタイムで報じ続けているが、EU離脱が正式に決まったことでもあるし、この辺りで一連の出来事についてコメントを残しておきたい。

今回の結果にははっきり言ってかなり驚いた。イギリス人は驚くべきことにEU離脱を選んでしまった。これは並大抵の精神力ではない。何故それが並大抵の精神力ではないのかについて、この記事では詳説したいと思う。

ほとんど当確だったEU残留

今回の国民投票だが、これまでフォローしていた読者には既知の通り、投票直前ではEU残留が優勢となっていた。投票を済ませた有権者を対象にした世論調査でも残留が優勢となっており、EU離脱を支持した一部の政治家は敗北宣言を出していたほどである。

しかし蓋を開けてみればEU離脱が僅差で勝利である。正直なところ、国民投票直前でジョー・コックス議員が国粋主義者とされている男に銃撃され亡くなった事件を聞いた時点で、EU離脱は有り得ないと考えていた。しかしイギリス人はその予想を覆してしまった。

ジョー・コックス議員の死

6月に入ってからの世論調査ではEU離脱の支持が増え続けており、直前になって遂に残留支持を上回った。このまま離脱に票が流れるのかと予想していた矢先に起こった事件がコックス議員の凄惨な死である。

コックス議員はイギリスの極右団体である「ブリテン・ファースト」の名前を叫んだ人物によって撃たれ、命を失った。わたしはこの事件を聞いた時、二重の意味で心を痛めていた。第一に、移民受け入れを開始してから生じた混乱と紛争のなかで命を失った人物がまた一人増えてしまったこと、第二に、暴走するEUに対する在り方を真摯に考えていたイギリス国民の国民投票が、感傷的なものにすり替わってしまうかもしれないと考えたことである。

初めにはっきりさせておきたいのだが、わたしは政治家に対して暴力で訴える人物も、あるいはヨーロッパでテロや性的暴行事件を起こしている移民たちも、どちらに対しても責めてはいない。

わたしが一貫して主張しているのは、文化の異なる人々を無理矢理同じところに閉じ込めれば、そこでは対立や紛争を避けることが出来ず、しかもEUのようにそのやり方が無理矢理であれば、今回のように殺人や強姦などの凄惨な事件に発展するということである。この政治的背景に悪があるとすれば、文化の違いというものを真摯に考えず、移民政策を強行したドイツにある。

ドイツについては後述するが、考えてもらいたいのは、コックス議員がそのような経緯で亡くなった後、EU離脱に投票するのは、普通の国民には至難の業であるということである。離脱に投票することで、銃撃した人物を支持するかのような思いに囚われることのない国民は、イギリスでもなければ少なかったはずだ。

そもそも、スコットランド独立の国民投票のように、こうした選択ではリスクの少ない現状維持に流れるというのが通常であり、コックス議員の件がなかったとしてもEU離脱を選ぶというのはかなりハードルの高い選択肢であった。

イギリス人は何故EU離脱を選んだか

ではイギリス人はどうしてEU離脱を選んだのか? それはイギリス人がEUの悪しき本質を見抜いていたという一点にある。それを説明するためには、キャメロン首相が辞任を表明した今、次期首相候補として名前が上がっている元ロンドン市長のボリス・ジョンソン氏の主張を見てゆきたい。今回の国民投票において、イギリスのEU離脱はジョンソン氏によって主導された。

以前にも書いたことがあるが、ジョンソン氏はイギリスでも屈指の人気を誇る政治家である。人気という点においてはキャメロン首相をも凌ぐのではないかと思う。彼はメディアへの露出が多い政治家であり、BBCの人気番組で司会者が降板した時には次期司会者として名前が挙がったほどである。純粋な政治家でテレビ番組の司会を任されかけるというのはなかなか無いと思うのだが、それも彼の人柄ゆえということだろう。

その政策はと言えば、勿論先ずは反EUである。国民投票前のキャンペーンで、ドイツはヒトラーと同じようにヨーロッパ支配を目論んでいると発言してやや顰蹙を買った。しかしはっきりさせておきたいのだが、ドイツの政治をヒトラー呼ばわりするのは、ナチズムと全く関係のない安倍首相やトランプ氏をヒトラー呼ばわりするのとは訳が違う。そしてヒトラーを支持したドイツ国民の本質は、確かに第二次世界大戦の頃から変わっていないのである。ジョンソン氏はこう語る。

EUの悲惨な失敗は加盟国間の緊張をもたらし、そしてドイツにヨーロッパにおける過大な権力を与え、彼らがイタリア経済を乗っ取り、ギリシャを破壊することを許す結果となった。

イタリア人はかつて優れた自動車製造業を誇っていたが、これはユーロによって完全に破壊されてしまった。ドイツ人が望んだ通りにである。

ユーロはドイツの生産力がユーロ圏の他の地域に対して不可侵の優位性を得るための道具となってしまった。これはわれわれイギリス人にとって、節度と常識の声としてヨーロッパの救世主となり、目の前で繰り広げられる無秩序を止めるためのチャンスなのだ。

ドイツはユーロを用いてギリシャやイタリアから資金を吸い上げた。ドイツにとって安すぎるユーロはドイツの輸出産業を助け、南欧諸国にとって高すぎるユーロはイタリアの車産業やギリシャの観光業を破壊してしまった。しかしそれでもドイツ人はイタリア人やギリシャ人を怠惰だとして非難している。それに同意する経済学者は一人もいないだろう。

そしてドイツは移民を招き寄せてヨーロッパにテロと集団性的暴行をもたらした。これら二つの事件がヨーロッパでここ1年の間に何度起こっただろう。そしてそれは今も止む気配はない。

ドイツ人はこれらのことを難民を助けるために行ったのではない。本当に人助けがしたかったのであれば、ドイツ人が助けるべき相手は移民の前にいたはずである。それは即ち、10%の失業率を誇るユーロ圏内の貧困層である。

この高い失業率はドイツ人自身が押し付けた緊縮財政によってもたらされたものであるにもかかわらず、自分が引き起こした貧困に喘ぐこれらの層にドイツ人が手を差し伸べることは一切なかった。しかしドイツ人は見るからに可哀想な難民だけは助けようとしたいのである。イタリアの貧民街の現状を知っていればそんな選択は出来ないはずだが、そのようなことはドイツ人には関係がない。

移民がヨーロッパに来たはいいが、家族が仕事にありつけないとき、子供たちは何をさせられるかを日本の読者はご存知だろうか? 良くて物乞い、やや悪ければスリ、最悪の場合は売春宿行きである。

完全な混沌となっていたドイツの政策には一見まとまりの無いように見えるが、しかし第二次世界大戦の頃から変わっていないドイツ人の性質を考えれば一本筋が通るのである。これについては何度でも引用したい以下の記事で詳しく説明した。ここまで詳しくドイツ人の国民性について書くことのできる日本人は恐らくわたしだけだと思う。

そしてジョンソン氏はそうしたドイツの本質を見抜いていた数少ない政治家であり、EUの暴走を止めるべくEU離脱を支持したのである。ジョンソン氏の国民投票前の発言をもう一度引用しよう。

これはわれわれイギリス人にとって、節度と常識の声としてヨーロッパの救世主となり、目の前で繰り広げられる無秩序を止めるためのチャンスなのだ。

そうしてイギリス人の「節度と常識の声」は、直前に起こったコックス議員の死に対しても感傷的になることなく、暴走するEUに対抗する手段として、最終的に離脱を選んだ。

それが本当に良かったのかどうかは、誰にも分からないだろう。EUを離脱したイギリス人はEUの暴走に干渉する権利を失い、島国イギリスは中国に対する日本のように、大陸で好きなように権力を行使するドイツに対して、外部から警戒することしか出来なくなるかもしれない。

それは恐らく誰にも分からない。しかしわたしは、あらゆる感傷主義にも屈することなく、間違ったものに間違っているとNoを叩きつけたイギリス人の凄まじい精神力に敬意と賞賛を送りたい。このようなことが出来る国民は他に居るものではない。その一点だけで、本当の敬意に値するのである。