量的緩和バブルの終焉: もし日銀がすべての国債と株式を買い入れたら

多くのファンドマネージャーが指摘するように、現在の相場は株式も債券もすべてがバブルである。著名債券投資家のビル・グロス氏は量的緩和によって人工的に押し上げられた資産価格を「カジノのような市場」と呼び、ジョージ・ソロス氏は2008年の再来と呼んだ。

しかしそのバブルが具体的にいつ崩壊するのかという点については、それぞれの投資家は別の見解を持っているだろう。

リーマンショックの場合においても、アメリカの住宅ローン市場におけるバブルは何年も前から指摘されていたが、逆に言えば何年かの間バブルは崩壊しなかったのである。現在の相場も賢明な投資家たちの憂慮をよそに高値で推移したままである。

量的緩和バブル

今回のバブルは量的緩和によってもたらされたものである。より厳密に言うならば、資産買い入れという直接的な方法によってしか浮上させられないほどに弱い先進国の潜在成長率が量的緩和を招き、量的緩和がバブルを招いたのである。中央銀行は成長率の低下とバブルの醸成の二つのリスクの板挟みとなっている。金利は一つしかないので、両方を抑止することは出来ないのである。

さて、このバブルを崩壊させる一つの方法は利上げである。量的緩和によってもたらされた低金利のために、預金や国債の低い利回りに満足出来なくなった資金が社債や株式などのリスク資産に流れたのだから、国債の金利が戻れば株や社債に流れた資金も国債市場へ戻ってゆく。2016年最初の記事は、この話題から始めたのだった。

しかし、では利上げを永遠に行わなければどうなるのか? バブルは崩壊しないのだろうか? 今回はその可能性について検討してみたい。

日銀は国債をすべて買い入れてしまうのか?

日銀の国債買い入れの限界が指摘されており、年間買い入れ額の保証を取り去った2016年9月の総括検証は、黒田総裁がそれを憂慮しての政策変更であった。

しかし市場に出回っている国債の総額が有限であるという事実が変わったわけではない。市場に存在する日本国債約800兆円に対して日銀の国債保有残高は400兆円を超えており、世の中の日本国債のほぼ半分が日銀によって保有されている状況となっている。今後の金利の状況にもよるが、5年から遅くとも10年ほどで日銀はすべての国債を買い入れてしまう可能性が高い。というより、これはほとんど既定路線と言っても良いだろう。

国債の買い入れが完了してしまえば、緩和の手段はほかの資産を買い入れる他なくなる。それまでに金融緩和が役目を終え、量的緩和が不要になっていれば良いが、日本経済の現状を見るかぎりその可能性はかなり低いだろう。

日銀が国債の買い入れを完了し、他の資産クラスに移ったとしても、バブル崩壊のシナリオは基本的に同じである。日銀の介入した市場は例外なくバブルになり、日銀が買い入れを止める時にそのバブルは崩壊するだろう。その理屈は上で説明した通りである。

では、日銀がすべての資産を買い入れてしまえばどうなるだろうか? 例えば、市場に流通している社債と株式をすべて買い入れてしまったとすればどうなるか? 誰も何も売ることは出来ないのだから、バブルは崩壊しないのではないか? 今回の議論はこの点についてである。

馬鹿のような話だが、日銀の金融緩和に出口がない以上、少なくともこの領域にかなり近づく可能性は想定しておかなければならない状態まで現状は来てしまっている。出口がすなわちバブル崩壊であるのであれば、投資家が考えるべきは、出口に出なければどうなるかである。

日銀が株式をすべて買い入れればバブルは崩壊しないのか?

資産価格が下落しないという意味では、バブルが崩壊することはないだろう。日銀がすべて買い入れ、それを売る気がない以上は、株価はもう下がることはない。売買もされないからである。

ではそうすれば量的緩和バブルは円満に完了を迎えるのか? 断じてそうではない。むしろその先を注視することで、量的緩和の問題点が浮き彫りとなるのである。

すべての債券と株式が日銀によって保有される世界では、企業の利益率は目に見えて減速してゆくだろう。そして経済全体の生産性は著しく低下し、1929年の世界恐慌とは比較にならないような大不況が訪れるだろう。何故ならば、そのような状況と比較すべきは1929年の大恐慌ではなく、ロシアと中国における共産主義体制の崩壊だからである。

量的緩和がもたらす共産主義

すべての債券と株式が日銀によって保有される世界では、企業は倒産することがない。新たに社債を発行して借金をしようと思えば、日銀が即座にそれを買い上げてしまうからである。そうなればあらゆる不効率な事業は継続され、決して使われることのない建物や商品の山が生産され続けるだろう。このシナリオを極端な例え話と切り捨てることは出来ない。何故ならば、そうした状況は既に始まりつつあるからである。

例えば、ほとんど破綻寸前のシェール関連企業Chesapeake Energyが7.5%というジャンク債とは思えない僅かな金利で社債を発行し資金調達をしたことは記憶に新しい。

正常な金利下ではすぐに倒産が宣言され、設備と従業員はより効率的な他の事業に割り当てられるはずであるのだが、低金利下ではそうしたゾンビ企業が何年も生き長らえることが出来、設備と従業員は無駄の生産に永遠に従事するのである。

もう一つの共産主義化は、政府による公共事業の拡大が要求されていることである。ラリー・サマーズ氏のような優秀な経済学者が公共事業の非効率性を忘れている。政治家が自分を利する企業に他人の金をばら撒くわけだから、公共事業が効率的となるはずがない。

しかし金融政策だけでは不十分だからという理由で公共事業が求められる。不思議なことに、競争原理の働く企業活動を促進するはずの減税を求める声は少なく、景気刺激と言えば政治家はいつも公共事業を行いたがる。日本で消費減税が行われないのは政治が腐敗しているからである。この矛盾については以下の記事で大いに指摘した。

量的緩和と低成長

ここ10年ほどの先進国経済の低成長は、個人的には上記の2つの要素に起因するのではないかと思い始めている。つまりは低金利によってゾンビ企業の非効率な事業が延命されていること、そして非効率な公共事業に頼る風潮が強くなりつつあることである。

量的緩和が行き着くところまで行き着けば、この不幸な傾向は完全な形で実現されるだろう。逆に量的緩和が途中で停止され、長期金利が上がるのであっても、やはりバブルは崩壊するだろう。どちらに転んでも世界経済は暗闇のなかである。

投資家にとっての関心事は、2つのシナリオのどちらに進むかによって資産価格の推移が変わるということだろう。どちらに転んでも利益の出るポートフォリオを常に目指したいものだが、それはある程度短期的なタイミングの読み方を必要とする。

そして投資家に生き残るすべが残されているとしても、アクティブな投資家ではない大多数の市民にとっては不幸な結果が待っていることになる。しかしどうすることも出来ない。バブルはもう出来上がってしまったのである。