債券王ビル・グロス氏がマイナス金利の悪影響を批判する

著名債券投資家のビル・グロス氏がバロンズ誌のインタビュー(原文英語PDF)でマイナス金利の悪影響について語っている。

マイナス金利が実体経済にネガティブな結果を及ぼす経路について、金利のスペシャリストである債券投資家独自の視点から例を挙げて説明しており、彼の議論はマイナス金利に突入した日本経済の展望を占う上で役に立つだろう。

低金利は有効か?

グロス氏の議論は先ず、現代経済学の大前提、低金利のインフレ率への影響に疑問を呈するところから始まる。

中央銀行は利上げでインフレを抑制し、利下げで経済を浮揚する旧来のモデルがいまだ有効だと思っているが、過去5年の経験、あるいは日本では過去15年か20年の経験によれば、そのモデルはもう成り立っていない。

バブル崩壊後の日本経済と、アメリカやヨーロッパより常に低く推移してきた日本の長期金利を考えれば、可能な結論は二つだけである。低金利がデフレに効いていないか、金利がまだ十分に低くないかだ。しかしどちらが正しいかを実験することはできない。いずれにせよ金利はゼロを大きく超えては下がらないからである。

グロス氏は低金利がそもそも効いていないのだとし、低金利の弊害の具体例を指摘する。例として挙げられるのは預金者や年金、保険会社への影響である。

先進国の金融経済において、ゼロ近辺にまで下げられた金利はマイナスの結果をもたらす。保険会社や年金基金への影響などが良い例だろう。保険会社には長期的な負債がある。死亡保険や健康保険などの支払いを迫られる一方で、被保険者から集めた資金から一定の金利を得なければならない。金利がゼロ近辺ならばこのモデルは崩壊する。

保険会社への悪影響は散々指摘されている通りである。しかしグロス氏の挙げるその他の例はより考察に値する。

別の例を挙げれば、カリフォルニア州は株や債券から8%のリターンが得られることを前提に公務員への年金の支払いの計画を立てている。それがドイツのように1%か2%かそれ以下のリターンしか得られなくなればどうなるだろうか? わたしにはプエルトリコやデトロイト市やイリノイ州が財政で苦労した例が思い出される。

金利がいくらであるかにかかわらず、地方政府には年金を払う義務がある。保険会社であれば市場原理に従うのみだが、公的部門は金利で年金を払うモデルが成り立たなくとも年金の支払いを行わなければならない。グロス氏は低金利がこうした経路で地方政府の財政を圧迫する可能性を指摘しているのである。

勿論、低金利が同時に公的部門の負債の利払い負担を軽減することを忘れてはならないが、上記のような低金利による負債増加の可能性はあまり言及されることがなく、一考には値するだろう。

低金利は消費を増やすか?

そして次の例はより重要である。

老後の蓄えや子供の学費のために貯金をしている人々のことを考えてみてほしい。8%程度のリターンが得られれば何も問題がなかっただろうが、残念ながら金利がゼロか、マイナスにまで下がるとすれば、預金者はおしまいだ。そして預金者は資本主義の基盤なのだ。

低金利は投資のための借り入れを容易にする一方で、預金者である消費者の購買力を奪う政策でもある。投資は経済の生産性に作用する一方で、消費者は需要側の要因である。

アメリカを含む先進国経済を覆うデフレが需要不足なのか、生産性の問題なのかについては以下の記事で詳細に議論した。

そして世界経済の問題が需要不足であるのであれば、消費者から資金を奪うマイナス金利は、中央銀行家や経済学者が考えている以上に、実体経済に悪影響を及ぼしているのかもしれない。勿論、低金利は債務超過に陥った消費者を助けるものではあるのだが、そうしたプラスの効果ばかり喧伝されてきた嫌いはある。

マイナス金利の限界

グロス氏は最後にマイナス金利の限界に言及する。

マイナス金利の状況下においても、銀行や保険会社は中央銀行の口座に現金を置き、0.5%のマイナス金利を払う以外に選択肢がほとんどない。しかし個人は違う。個人は「金を返せ」と言って現金を引き出すことが出来る。わたしが話しているのは、億万長者のことではなく、25,000ドルか50,000ドル程度の(訳注:引き出しやすく口座数が多い)預金者のことである。

マイナス金利が個人の預金口座にまで波及した場合(手数料の増額などを含む)、どの程度までマイナス金利が深くなれば預金者は預金を引き出すかというのは、マイナス金利の限界を決める重要な議論である。

ここで重要なのは、管理に困るほどの現金を持っている億万長者は少数派であるということである。グロス氏の言うような規模、日本円で言えば500万円程度であれば、札束にしても大してかさばらず、それが安全かどうかは別として、自宅に隠すことにさほどの手間はかからないのである。

マイナス金利が預金口座に波及するまでどの程度かかるかは不透明だが、日銀のマイナス金利が深掘りされるようであれば、自宅に置かれる現金は次第に増えてゆくだろう。個人的に憂慮しているのは、そうなればマイナス金利は無用に人々を空き巣のリスクに晒すことになるということである。

そこまでして中央銀行が達成しようとしているマイナス金利は、これまで何度も指摘している通り、通常の利下げよりも効果の薄い政策である。マイナス金利は金融関係者の評判がすこぶる悪いが、それは様々な方面への無用なリスクの割に効果が薄いからである。

かといって日銀にほかの手段が残されているわけでもない。正確に言えば残されてはいるが、効果が薄いか、実現可能性の低いものばかりである。

そして、日銀が弾切れとなったことが為替相場で円高を招いている。

一番恐ろしいのは、日銀が弾切れとなった後に金融危機が起こればどうなるかということである。ジム・ロジャーズ氏はその危険性を以前より指摘している。

空売りの出来るわれわれ投資家は、世界恐慌が起こったとしても生き残ることが出来る。しかしそうなれば、世界経済はどうなるだろう。そうならないことを祈っているが、金融市場は確実に、その方向にむけて不安定化しているのである。