移民を歓迎するドイツの本音と哀れなハンガリーの受難

ヨーロッパの移民問題が深刻化している。アサド政権、反政府組織、ISISの三つ巴の争いが繰り広げられているシリアから多数の難民が流入しており、ヨーロッパ各国は対応に追われている。

日本についても、外国人記者に人道支援としての難民受け入れについて聞かれた安倍首相が「難民受け入れより女性の活用が先」と経済成長の文脈で答えて海外メディアの非難を浴びたりしているが、今回ここで述べたいのは移民受け入れの倫理的意義でも日本の致命的な外交感覚の欠如でもなく、移民問題の裏にあるドイツのヨーロッパ統一願望と、それが欧州経済に及ぼす影響についてである。

国境なき欧州

そもそも移民問題が各国それぞれというよりはEU全体の問題となっているのは、ヨーロッパ内に国境が存在せず、原則として人の行き来が自由となっているからである。EUのうちほとんどの国はシェンゲン協定に加盟しており(イギリスなどを除く)、それぞれの国境において入国審査を行わない決まりとなっている。したがってヨーロッパの一国にさえ入国してしまえば、あとはヨーロッパ内を自由に移動できるということになる。

難民にとっては、中東からギリシャにまで行ってしまえば、あとは法的にはドイツにでもオーストリアにでも行けるということであり、経済的に豊かなドイツを目指す彼らの通り道となるギリシャ、ハンガリー、スロヴァキアなどの国々は、あまりに多くの移民への対応に苦慮している。

ユーロピアン・プロジェクト

そもそもヨーロッパが国境を取り払い、共通通貨を持つことを決めたのは、「ユーロピアン・プロジェクト」と呼ばれるヨーロッパ統一の理念によるものである。欧州の政治家はこの言葉をよく口にする。ドイツのメルケル首相は移民受け入れ問題を「次の大きなユーロピアン・プロジェクト」だと述べた(Deutsche Welle、原文英語)。

ユーロピアン・プロジェクトとは、第二次大戦後のヨーロッパのあり方を規定する考え方のことであり、有り体に言えばローマ帝国以来戦火のあまりに多過ぎるヨーロッパを統一することで、ヨーロッパ内で戦争が発生しないようにすることを目指す計画のことである。これは戦勝国側から見れば、ナチズムに突っ走ったドイツに、EUやユーロ圏という鎖を付けて、周辺国と一蓮托生にしてしまおうという意図で行われた。

しかし一方で、ヨーロッパ統一という考えは、鎖を付けられた側のドイツ人にとっても喜ばしい内容であった。以前にも書いた通り、そもそもドイツがナチズムに走った根底にはドイツのヨーロッパにおける文化的な立ち位置がある。

ヨーロッパにおけるドイツ

ドイツ人は「Wir Europäer(われわれヨーロッパ人は)」という一人称をよく使う。統計を取ったわけではないが、フランス人やイギリス人よりも頻度がかなり多いと思う。(イギリスにとってのヨーロッパとは、日本にとってのアジアである。)これはとりわけ第二次世界大戦後のドイツ人が、ヨーロッパ人を自称したがるからなのだが、何故そういう傾向が生まれたかという話をするためには、ドイツのヨーロッパにおける立ち位置について話す必要がある。

以前も話したように、歴史的に、礼儀を重視し文化的なイギリス人やフランス人に比べ、ドイツ人(プロイセン人)は無骨で無作法という評判を長らく享受してきた。これはドイツの哲学や芸術が花開いたあとも変わらず、ナポレオンがゲーテを愛読する時代になっても、社交界における優雅な振る舞いを重視するイギリスやフランスからは文化的に洗練されていない民族として一段下に見られていた。

しかし近世以降、ドイツには優れた文化がある。カントもゲーテもベートーヴェンもドイツ人である。ドイツ人は自国の文化を誇りに思いながらも、他国からの評判に不満を抱き続けており、これが爆発したのがナチス・ドイツのアーリア人礼賛なのである。ドイツ人がこういう人種差別的な考え方に走ったのは、ドイツの特殊な立ち位置に起因しているのである。

しかし、この偉大なドイツ人が世界を支配するという考え方は第二次世界大戦の敗戦で砕け散り、結局イギリスやフランスに散々に非難されることになる。結果として、ドイツ人の希望も虚しく、ドイツ人はやはりとんでもない民族だという見方がヨーロッパ全体に広がってしまった。今やドイツ人は、ドイツ人であることを誇りに思うことができない。ではどうするか? ヨーロッパ人を名乗るのである。

ヨーロッパの盟主としてのドイツ

ドイツの歴史は酷かったかもしれないが、ヨーロッパの歴史は偉大である。その偉大なヨーロッパを率いているのがドイツであればどうだろうか? その非常に栄誉ある立ち位置はドイツ人の悲願である。かくしてドイツはヨーロッパ統一という考えに取り憑かれた。通貨を統一し、国境を取っ払った。安いユーロで輸出も上手く行き、ギリシャ問題も何とか押さえ込んだ。すべてが上手く行くはずである。そう思っているのは、残念ながらドイツ人だけなのである。

経済大国ドイツによって主導されているこの統一されたヨーロッパは、当然ながら徹頭徹尾ドイツに利益が行くように出来ている。ドイツにとって安く、ギリシャにとって高すぎる共通通貨ユーロは、ギリシャの政府債務の直接の原因である。そしてこの移民問題もまた、他国の犠牲のもとにドイツが利益を得るように出来ているのである。

移民を歓迎するドイツ経済界

ロイターによれば、ドイツのガブリエル副首相は次のように語っている。

われわれのところにやって来る人々を早急に訓練し、仕事に就かせることができれば、熟練労働者の不足という、わが国経済の未来にとって最大の課題の1つが解決するだろう

その通りだろう。ドイツの失業率は6.4%であり、高齢化の問題もある。移民が労働者として働けるならば、供給増で賃金が低下し、企業としてはコスト削減となる。しかしドイツに入国できるということは、ヨーロッパの他の国に入国できるということである。他の国はどうか? ユーロ圏の失業率は11%であり、そもそも自国民さえ就職できていないのである。

ドイツは人道的な側面を全面に押し出して移民を受け入れている。しかしこれは他のヨーロッパの国にとってはどうか? ドイツは利益を得るかもしれないが、われわれはどうなるのかと思うのが当然だろう。しかしドイツ国内でこういう議論はほとんどされていない。ギリシャの債務を肩代わりするのは嫌だが、共通通貨による他国への不利益に充分に注意を払うこともないというのと構造が同じである。

ハンガリーのオルバン首相などは移民危機は欧州ではなくドイツの問題だと言い放った。ハンガリーはEU懐疑派であるが、シリアからドイツへの通り道でもあるため、移民問題に関してフラストレーションが溜まっている。

ドイツ国内も混乱

混乱しているのは移民の通り道となる国だけではない。ドイツ南東部、オーストリアとの国境近くに位置するミュンヘンでは、難民受け入れに苦慮した市長が悲鳴を上げた。「もうこれ以上、難民にどう対応していいかわからない」そうである。これを受けてドイツはオーストリアとの国境開放を一時停止、入国審査を行うことを決めた。メルケル首相の寛容な発言が喧伝されてドイツに向かっている移民たちは、オーストリアやハンガリーで立ち往生することになる。

結局のところ、すべての問題の根源はドイツが理想と利己主義を両立しようとしていることにある。労働者が自国に流入するのは歓迎だが、ミュンヘンがパンクをするのは困る。安いユーロは歓迎だが、ギリシャの債務を肩代わりするのは御免である。そして隣国の不利益には充分に注意が払われていないのである。

結論

このような状況が長く続くはずがない。ヨーロッパはとんでもない臨界点に達するのではないかと本当に心配している。ハンガリーは我慢の限界だろう。賢明なイギリス人はシェンゲン協定にも合意せず、とうの昔から既に一歩引いている。

ドイツには一貫した行動原理がない。難民を受け入れるのであれば受け入れ体制を計画的に整え、受け入れられる人数だけを受け入れるべきであり、また自国の経済に利益になるほど他の国の経済に利益にならないことを理解しなければならない。

このようなことを続けていれば、経済的にも文化的にもヨーロッパは破綻する。移民については、シリア難民を自称する人々の3割は実はシリア人ですらないという報道や、ISISの戦闘員が難民に紛れ込んでいるという報道もある。こぞってドイツを目指している移民たちは、ドイツの文化が好きだからドイツに住みたいのではなく、単に仕事を求めているのである。こうした受け入れ国の文化に対する移民の無理解は、後々文化的な問題を引き起こすだろう。

ヨーロッパはどうなるだろうか。解決の糸口は見えてこない。リーダーシップを取っているのは、いまだ計画性のないドイツである。