ジョージ・ソロス氏: 私の強い反ロシア感情は個人的経験に由来するもの

2008年の金融危機に関する書物を再び読み漁っている。2016年以後に崩壊すると思われる巨大な低金利バブルは、1980年から続いたものであり、その本質においては2008年のバブル崩壊と同一のものだからである。

著名ヘッジファンドマネージャーのジョージ・ソロス氏も恐らくは同様の見方をしており、その意味で氏のリーマンショックに関する文章はどれも再読に値するのだが、それらの文章を読み進めるうちにソロス氏が自身の反ロシア的な政治スタンスと、彼がロシアの政治にどのように介入しようとしたかについて赤裸々に語っている箇所を発見したので、ここに紹介してみたい。

ジョージ・ソロス氏の反ロシア感情

これから紹介するソロス氏のロシアに対する政治観は、彼がリーマンショックの直後に発表した、日本語版では『ソロスは警告する2009』として出版されている書物の一部分である。

この本では主に2008年の金融危機の前後においてソロス氏が原油やドル、新興国株などをどのようにトレードをしたか、そしてこの金融危機を乗り越えるためには世界経済はどうすべきかなどの論題が語られているが、その終盤にロシアに関する章がある。その章は以下の文章で始まる。

私の強い反ロシア感情は、強烈な個人的経験に由来するものだ。

ソロス氏は基本的に自分の政治的スタンスを隠さない人物である。彼はグローバリストであり、移民支持派であり、市場に関しては規制推進派であり、ヨーロッパにおいてはEU支持派であり、そして反ロシアである。

しかしソロス氏にとって反ロシアとは、戦争によってロシアを打ち負かすことではない。ロシアに西側の価値観を植え付けることである。そしてそのソロス氏の政治的悲願にとって最大のチャンスであったのは、1991年のソ連崩壊であった。彼は先ずその時の話をしている。

ソ連崩壊時におけるヨーロッパの失敗

第二次世界大戦後に始まったアメリカとロシアの冷戦は、共産主義の経済的失敗によってアメリカの勝利に終わった。1991年にソ連が崩壊する前のロシアは経済的には酷いものであり、政治的にも混乱の只中にあった。

その時、反ロシア的なソロス氏はどうしたか? ヨーロッパ諸国にロシアの支援をするよう訴えたのである。彼は次のように書いている。

1989年の春に、私は当時まだ東ドイツ領だったポツダムで開催された東西会議で講演を行った。私は主に「ヨーロッパ諸国の資金で、ソ連に対して、かつてのマーシャル・プランに匹敵する大援助計画を実行する」よう訴えた。だが私の講演は、イギリスのサッチャー政権の若手官僚の嘲笑を浴びるのにとどまった。

1989年と言えば、1992年のポンド危機におけるポンド空売りでソロス氏の名が知れ渡るより以前であり、当時ソロス氏は今ほど有名ではなかった。そうしたソロス氏の主張はヨーロッパ諸国にほぼ完全に無視されたようである。

ソロス氏のロシア政策

しかし反ロシアであるはずのソロス氏は何故ロシアを援助しようとしたのか? その理由は、国の経済的窮地とはアウトサイダーにとってその国の政治や価値観に介入するための絶好の機会だからである。ソロス氏はその野望を隠そうともせずあからさまに語っている。

西側型の民主政治をロシアに打ち立てるという野望は、満たされないままである。ロシアの改革派の政治家や知識人は西側諸国の援助に大いに期待したが、ほとんど裏切られることになった。

更に言えば、ソロス氏はロシアへの軍事的(地政学的)侵攻に明確に反対している。欧米諸国はソ連崩壊の混乱を利用して親ロシア的であった東ヨーロッパの一部を取り込んだ。例えばウクライナはソ連の構成国であったが、ソ連崩壊後は欧米の影響力が強まっている。その辺りの経緯が2014年のロシアによるクリミア併合に繋がっているのである。

ソロス氏はこれをヨーロッパ側の怠慢による政治的失敗であると指摘する。

西側諸国は、西側的価値観をロシアに植え付けるための、いかなる努力も行わなかったし、犠牲も払わなかった。ロシアの弱さを利用して、西側諸国の勢力圏を東に向けて広げただけである。これはまぎれもない歴史的な事実であり、ロシアの西側に対する態度に決定的な影響を与えている。

そして欧米とロシアとの溝は深まり、その対立は不可避のものとなる。

西側諸国は、この問題に関してロシア側が抱く復讐心にまるで気づいていない。西側が今さら何をしようにも、ロシアの反西側感情を改めることはできない。歴史を書き換えることはできないのだ。正しかろうと間違っていようと、ロシアの支配者たちも一般のロシア人も、ロシアが困難に陥っていた時に西側がいかなる態度に出たかを決して忘れておらず、そのことを深く恨みに思っている。そしてこの怨念をいちばん強く抱いているのが、かつて西側の民主主義にあこがれていたロシア人なのだ。

対ロシア政策としてのヨーロッパ統一に舵を切るソロス氏

そうしてソロス氏は結局のところロシアを教化することを諦めた。諦めたソロス氏が次善の策として選んだのが、ヨーロッパを統一してロシアに対する盾とすることである。ソロス氏はこれからのヨーロッパの方向性について以下のような提言をしている。

これまでヨーロッパでは、それぞれの国が、経済的利害と歴史的経験に即して、個別的にロシアに対応してきた。だが今後は、そうした国益や態度の違いを克服し、EUとして統一的な対ロシア政策をとることが不可欠だ。

ここにEUを支持するソロス氏の本音が潜んでいる。2016年のイギリスのEU離脱国民投票でもソロス氏はEU残留を支持していたが、ソロス氏のEU支持はイギリス人やヨーロッパ人のためを思ってのものではない。それはヨーロッパをロシアに対する政治的な盾として強固なものにするというソロス氏の政治的野望のためであり、EUのためにイギリス人やイタリア人、ギリシャ人などがどれだけ理不尽な目に遭おうとも、対ロシア政策がソロス氏にとっては優先されるのである。だから彼の意向は現地の国民の意志とは乖離する。それがイギリスのEU離脱である。

ここに彼の政治活動の致命的な欠陥がある。彼と諸国民の利害が一致しないために、彼の政治活動は成就することはない。ソロス氏を始めとするグローバリストは自らの政治的理想のために移民政策を推進しようとしたが、そこで生じたあまりに耐えがたい問題のために現地の反発が強まっている。

また、自分の政治的目的のためにあらゆる国の価値観を歪めようとするソロス氏の活動は、ユダヤ系であるソロス氏にとって同胞とも言えるイスラエルでも批判の対象となっている。

ソロス氏の支援する団体はすべて共通の基本的価値観を持っているのだ。それらの団体はすべて、西洋の国家や地域がそれぞれ固有の法や価値観を維持する能力を弱めるものだ。それらの団体はすべて、経済的、政治的、科学的な自由を阻害するものだ。そしてそうした阻害活動は民主主義、人権、人種差別反対、男女差別反対などの名のもとに行われる。

自分の独善的な政治的理念を他人に押し付けようとする勢力に対するこうした諸国民の反発は、今後ますます強まってゆくだろう。それは例えば、アメリカ大統領選でドナルド・トランプ氏が選ばれるかどうかとは関係がない。選挙の結果にかかわらず諸国民の反発はそこにあるからである。

その急先鋒であるソロス氏にとっては世界的に厳しい流れとなっている。しかしこの潮流はもう止まることはない。彼らはやり過ぎたのである。


ソロスは警告する2009