世界最大のヘッジファンド: 共産主義の悪夢が資本主義にのしかかる

新型コロナウィルスによる景気後退が迫るなか、世界最大のヘッジファンドを運用するレイ・ダリオ氏がCNNへの寄稿記事で共産主義化する社会に懸念を示している。

新型コロナで増大する政府のプレゼンス

新型コロナによるロックダウンで経済活動が停滞し多くの人が失業しているため、日本やアメリカなどの国では政府が国民に現金を給付するヘリコプターマネー政策などの景気刺激策を取っており、またインフラ投資などの公共事業も議論されている。

しかしそれは同時に、これまでは他人の役に立つものを作っていた人が報酬を受け取っていた時代から、政府に選ばれた人が収入を得る時代へのシフトを意味している。ダリオ氏は次のように述べている。

世界中で人々や企業が収入と貯蓄を失っており、中央銀行と政府は資金を注入してそれを補おうとしている。これはつまり自由市場がもはや資本の配分を決定しているのではなく、政府がそれを決めているということを意味する。

その規模はアメリカでは数兆ドルに及んでおり、また日本でもマスクの配布が不要だったのではないかという話や、そもそもマスクの製造会社はどのように選ばれたのかという議論がなされている。これらの企業は政府によって税金の配布先として選ばれたのである。

ダリオ氏は次のように続ける。

政府と中央銀行は何兆ドルもの資金と信用を作り出し、それを受け取りたい人に受け取らせている。この状況が続けばすぐに、これらの資金は誰が出すべきでそれを誰が受け取るべきかという議論を呼ぶか、より悪い場合には争いに発展するだろう。

政府から景気対策として和牛券の発行を提案したときに反対の声が上がったのが典型的だろう。自分の都合で資金を振り分けたい政治家とそれに反対する国民の争いが今後大きくなるとダリオ氏は予想しているのである。

資本主義という名の共産主義

それでなくとも先進国の低成長は政府が債務を膨張させて非効率な事業を生み出し続けたことで生まれてきたのである。公共事業は誰も使わない箱物を生み出し、低金利政策は誰も使わない商品やサービスを作る三流企業を借金で延命させることを許した。

そもそも人々はデフレということの意味を考えてみる必要があるだろう。作ったものを誰も買っていないということがデフレの意味なのである。デフレとは需要に対して供給が過多であること意味しているからである。無駄なものが作られ続けているのである。

これはまさに共産主義の問題と同じである。政府が誰々はこれを作るようにと指示を出して経済を回そうとしたソビエト連邦と中国の経済は悲惨なことになった。日本やアメリカの人々は新型コロナで経済が窮地にある今をわざわざ選び、かつてのソ連や中国と同じ経済実験をやろうとしているのである。

「利益」とは何か

そうした政策が選ばれる中、ダリオ氏は資本主義の基本を冷静に説明する。

「利益を出す」ということがどういうことかを考えれば、資本主義は特に資源の配分や社会の生産性と生活水準の向上に向いたシステムであると言える。

相変わらず分かりやすいダリオ氏の説明は続く。

話は非常に単純である。製品の価値がそれを生産するために使った資源の価値よりも高いとき、その差が「利益」となり、利益を生む生産活動はより多くの資源を集めることができる。

もし製品の価値がそれを生産するために使った資源の価値よりも低いとき、そうした生産活動は行き詰まり倒産することになる。

このシステムは人々が欲しいと思う製品を作る個人に報酬を与え、その能力のある人はその事業アイデアを評価し資金を出すリスクを負っても良いと判断した投資家から事業のための資金を受け取ることができる。

倒産は必要である。しかしリーマンショック以来、多くの国がそれを拒み続けてきた。その結果が現在の低成長であり、そこにコロナ危機が来て経済は危機に瀕している。にもかかわらず多くの政治家は同じ過ちを繰り返そうとし、それが多くの人々に支持されている。

しかしはっきり言わなければならないが、世界経済は新型コロナのために危機的状況に陥っており、どの国の経済にもそのようなことをしている余裕などないのである。

無駄に資源を浪費するだけのゾンビ企業は潰し、社会は限られた資源を本当に人々が使うものを生産する事業だけに振り分け、ロックダウンで失われた莫大な経済活動を取り戻して行かなければならないのだが、実際には無駄を助長する政策が行われ、経済は票が欲しい政治家とそれを支持する短絡的な人々が支配している。

結論

経済を理解している人々は皆、公共事業や量的緩和で経済は救えないということを理解している。多くの著名投資家が警告を発してきたが、誰も聞かなかった。

ダリオ氏は、紙幣を無制限に印刷する量的緩和が経済を救うかどうかについてはシンプルな意見を表明している。

われわれが消費をできるかどうかはわれわれが生産できるかどうかに掛かっているのであり、政府から送られてくる紙幣の量に掛かっているではない。

紙幣は食べられない。

しかし多くの人々にはこのダリオ氏の言葉は難解過ぎるようである。

飢餓者が出るかもしれないが、経済は沈むしかないのだろう。