ミレイ大統領: 政府は国民への納税の強要によって成り立っている

引き続き、アルゼンチン大統領でオーストリア学派の経済学者であるハビエル・ミレイ氏の今年1月の世界経済フォーラム(ダボス会議)における演説を紹介したい。

政治家が、しかも一国の大統領がこれを言ってしまえるというのが凄いところである。

財政支出は倫理的か

緩和政策のやり過ぎによって物価が高騰し通貨が暴落したアルゼンチンにおいて、政治家による無駄な支出を消し去るために大統領に就任したミレイ氏は、前回の記事で政府支出の少ない「小さな政府」は、支出の多い「大きな政府」に勝ると主張していた。

だが財政支出は一般的に「誰かのため」という名目で行われる。年金問題に関しても、明らかに今の若い世代が老人になった時の資金は残っていないにもかかわらず、今の老人世代への給付が減らされないのは「お年寄りのため」というわけだ。

だからミレイ氏は次のように言う。

左派の人々は倫理的な理由を持ち出して資本主義を攻撃します。彼らによれば資本主義は不公平だそうです。資本主義は個人主義なので悪であり、全体主義は利他主義なので善だそうです。それは他人の金で行なう利他主義なのですが。

年金問題であれば政府支出の問題点を理解する人々でも、他の問題ならどうだろうか。震災が起きた場合の被災地の支援であればどうだろうか。

被災地を助けるのは良いことだ。だが問題は、その資金の出処である。被災地を助けたい人が居たとして、その人が自分の金で被災地を助けるのであれば何の問題もない。本来、本当に心優しい人々はそうするだろう。だが多くの人々は何故か政府の金で被災地を助けることを要求する。そして政府の金は徴税によってファンディングされているので、それはつまり他人の金である。

しかも日本の自民党のように、被災地支援が被災地への旅行支援という意味不明の政策(困っていない地域だけが旅行者を受け入れられる)によって行われているのを目にするとき、刑務所に放り込むという脅しによって強制的に徴収された税金がそのような使われ方をされていることに同意する人が果たしてどれくらい居るだろうか。

徴税とは強制的な資産の奪取である

だからミレイ氏は次のように言う。

問題は、彼らの言う社会的公平が全然公平ではなく、しかも社会全体の福祉に貢献しないことです。

真実はその真逆で、全体主義による社会的公平は本質的に不公平な考えです。それは暴力によるものだからです。

それは公平ではありません。その資金は徴税によって強制的に集めなければならないからです。それとも国民は自主的に喜んで税金を払っているでしょうか?

税金と政府支出とは、政治家が本人の許可を得ずその人の資金を勝手に他の人のところへ移し替えることである。そしてその資金が誰に移し替えられるかは、政治家によって恣意的に決定される。

同じオーストリア学派の大経済学者であるフリードリヒ・フォン・ハイエク氏は、著書『貨幣発行自由化論』において、それをはっきり窃盗だと言っている。

だからミレイ氏は次のように言う。

要するに国家というものは強要によってファイナンスされています。そして徴税が重いほど強要が大きく、少ないほど国民が自由だということなのです。


貨幣発行自由化論