世界最大のヘッジファンドBridgewater創業者のレイ・ダリオ氏が、 Modern Wisdomのインタビューで、人々が国家の債務やインフレの問題の重要性を認識しない理由について話している。
インフレと戦争
ダリオ氏はコロナ直後に現金給付が決まった時点で、過去の覇権国家がインフレと債務超過で衰退していった様子を解説した『世界秩序の変化に対処するための原則』を書き始めた。
そして世界はインフレになった。ダリオ氏はこの本で、覇権国家がインフレと債務の問題に陥ると戦争が起こりやすくなるとも書いたが、この本が2021年に出版された半年後にウクライナで戦争が起きた。
アメリカの債務問題
そして今、ダリオ氏は金利上昇による先進国政府の破綻の可能性に警鐘を鳴らしている。だが、コロナ当時にインフレを警告しても誰も信じなかったのと同じように、先進国が破綻する可能性を真剣に心配している人は少ない。
だが、アメリカではインフレで金利が上がり、これまでほぼゼロ金利だった大量の米国債に利払いが発生している。
ダリオ氏が言っていることはごく当たり前のことである。米国債の利払いは新たな米国債の発行によって賄われるので、このままでは米国債の量は指数関数的に増えてゆく。
だから、同じように米国債の買い手の方も指数関数的に増加してゆくのでなければ、米国債の需要と供給はいつかの時点で破綻し、米国債は下落を免れない。
債務危機を予想する
それでダリオ氏はわざわざワシントンDCまで行って与野党の政治家と債務問題について議論したのだが、アメリカの政治家は債務を減らす気はないと結論して帰ってきたようだ。
それで連日インタビューでこの問題について解説しているのだが、ダリオ氏は今回次のように言っている。
わたしは驚いている。すべて誰でも分かることではないか? わたしは何か変わったことを言っているだろうか?
元々のインフレの問題は、大量にお金を刷れば人々はそれを使い、インフレになるだろうというだけの予想だった。
債券投資家のジェフリー・ガンドラック氏は、インフレを予想できなかったアメリカの中央銀行を次のように皮肉っていた。
4時に10億ドルを国民全員の銀行口座に振り込み、5時にまだインフレが起こっていなければ、フェラーリの店舗前の行列はなかなかの見ものになっているだろう。
これは大げさな言い方だが、現金給付とは要するにそういうことだ。コロナで生産能力が落ちている状況で何兆ドルもの資金をばら撒けば、物価が上がるということは頭の良い12才児なら分かるだろう。
だが人々は頭の良い12才児ではなかった。
そうして今はアメリカの債務問題である。米国債の発行量が指数関数的に増え、買い手が指数関数的に増えないのであれば、米国債は下落する。
それだけの話なのである。ダリオ氏は次のように続けている。
なぜわたしはインタビューに呼ばれて皆の前でこんなことを喋っているのだろう? わたしは何か他の人には難しいことを言っているだろうか?
人々が予想できない理由
ダリオ氏は、人々がそれを予想できない理由は、経済を長期的なものとして見ないからだと主張している。
緩和政策を続ければ、まず資産インフレが起き、それでもインフレ政策を続ければ本当にインフレになる。
ダリオ氏が『世界秩序の変化に対処するための原則』で歴史上の事例を解説している通り、歴史を知っていればそれは単にいつもそうなるというだけの話に過ぎない。
だが人々の目線はダリオ氏の目線よりもずっと短期的である。ダリオ氏は次のように述べている。
何故人々にはそれが分からないか? 歴史の中のほんの一瞬しか見ていないからだ。今日のニュースを見る人はいるが、歴史上のサイクルを見る人はいない。
歴史上のサイクル
米国株がこれまで数十年上がり続けてきたからこれからも上がり続けるだろうと考えるナイーブな人々も同じだが、基本的に人間の脳はこれまであったことがそのままこれからも起きると考える。
そしてそれが予想の誤りを生む。「これまでは」ずっとデフレだったが、1980年に始まったデフレのサイクルが40年ほどで終わるとインフレと国債下落のサイクルが始まった。
そしてダリオ氏は、国債が下落するサイクルにおいては米国株の長期的パフォーマンスが落ちることを指摘している。
人々は自分の生きてきた数十年の常識がすべてであり、それがいつまでも続くと思っているが、歴史を少しでも学べばそれが数十年のサイクルの中の常識に過ぎないことを理解する。
だが、特に各サイクルの終わりにおいては、そのサイクルが数十年も続いてしまっているために、そのサイクルが永遠に続くと考える人々のバイアスは一番強くなっている。
そしてそのバイアスが、米国株は永遠に上がり続けるとか、政府債務はいくら積み上げても大丈夫だとか、そういう誤謬を生む。
だがダリオ氏はそういう考えについて次のように感想を述べている。
徐々に茹でられてゆくカエルのようなものだ。カエルを熱湯に入れればすぐに飛び出そうとするだろう。だがカエルを水に入れて、徐々に温度を上げてゆけば、さっきまで大丈夫だったから次も大丈夫だろうと考えて死ぬまで茹でられ続ける。
人々の見ているものは長期の中のひとかけらの変化に過ぎない。
結論
重要なのは、時間を単に直線的で永遠に続くだけのものと考えず、その中に繰り返されているサイクルを意識することである。
そしてこのサイクルと考え方それ自体を解説するために書かれた本がある。ニール・ハウ氏の『フォース・ターニング』である。
ハウ氏はこの本の中で、サイクルが既に変わっているにもかかわらず、時間は永遠に直線的だと考える考え方に固執した場合にどうなるかについて、次のように説明している。
物事が上手く行っている時は、直線的な時間の弱点は問題にならない。しかし物事が上手く行かなくなると、直線的な時間は破綻しかねない。
2025年現在、果たしてサイクルは変わっているのだろうか。どう考えるも読者の自由である。筆者は明らかな予想に基づいて金融市場に投資してゆく。