引き続き、The Solid Ground Newsletterのラッセル・ネイピア氏の、Resolution Foundationによるインタビューである。
政府債務の問題
日本やアメリカなどの先進国は、これまで何十年も債務を積み重ねてきた。それはゼロ金利の時代には一見無害に見えたが、インフレ政策がインフレを引き起こし金利が上がると、政府の財政は国債の利払いに圧迫され始める。
ネイピア氏は、先進国の債務問題はインフレによって政府の借金が紙切れになることで解決されるしかないと考えている。
借金が帳消しになるとき
政府が紙幣の価値を暴落させて自分の借金を帳消しにする。そう聞くと悪いことしか起こらないように聞こえる。
だが本当にそうだろうか? ネイピア氏は2回の世界大戦でそれが起こった時の事例について語っている。
ネイピア氏によれば、前回の債務バブルは第2次世界大戦の前後に段階的にリセットされた。
まず最初は1929年の世界恐慌である。ネイピア氏は次のように語っている。
1929年が富の一極集中のピークだった。それが壊れたとき、富は再分配されて多くの金持ちが資産を失った。
それ自体は誰にとっても良い結果にはならなかった。
世界恐慌は単に米国株を始めとする金融資産のバブルが崩壊しただけである。それは何年もの景気後退をもたらし、金持ちも貧乏人も同じように苦しんだ。
だが紙幣の価値が暴落して各国の政府債務をリセットするような金融抑圧が起きるとき、それは社会全体に新陳代謝をもたらす。
ネイピア氏は次のように語っている。
第2次世界大戦が終わったとき、金融抑圧が起きて富の不平等がどんどん小さくなっていった。
不平等の拡大と縮小
考えてみてほしい。デフレと金融緩和の時代は、貧富の格差が広がる時代だった。アベノミクスにより賃金は上がらなかったが、株価は上がった。デフレの時代における金融緩和の勝者は明らかに資産家だった。
この話の馬鹿げているのは、そうした金融緩和を株式などほとんど持っていないような一般の人々が支持したことである。そしてそれがインフレと通貨安に繋がることを知っていたヘッジファンドマネージャーらは、むしろそれに反対していた。
だが人々は金融緩和を支持し続け、株高は続いた。そして資産家の資産だけが膨らみ、それを自分で望んだ人々が自分にはお金が来ないと嘆いている。
だが朗報がある。デフレの時代が格差拡大の時代だったということは、インフレの時代は格差縮小の時代になるということである。
多くの人々がインフレ対策で株式を買っているが、金利が上がる時代の株式のパフォーマンスは最悪である。アメリカで金利が高騰した世界恐慌の時代と1970年代の物価高騰時代の両方において、米国株のパフォーマンスはかなり酷い状態だった。
紙幣が紙切れになったので預金も酷い状態だったが、米国株はそれよりも酷かった。
デフレが資産家の資産を無条件で膨張させる時代だったならば、インフレは資産家がそれを失う時代だということになる。
一方で、貧乏人は何を失うのか? そもそも預金も株式も持っていない人は、インフレで何も失わない。そして世の中で資産を一番持っていない世代とは誰か? 若者である。
リセットによる新陳代謝
若者は紙幣の価値下落としてのインフレとは関係がない。紙幣の価値が下がっても労働の価値が下がるわけではないので、物価が上がれば賃金も上がる。賃金がインフレに付いていく限り、若者はインフレの影響を受けない。預金などそもそもほとんど持っていないからである。
だからネイピア氏は、経済がインフレでリセットされるとき、次のようになると言っている。
誰が勝ち組で、誰が負け組だったかは明らかだ。預金者は負け組だった。老人は負け組だった。若者は勝ち組だった。債務者は勝ち組だった。
若者は特に勝ち組だった。もし賃金がインフレと同じくらいしか伸びなかったとしても、若者には昇進が待っている。だから若者はインフレに勝てる。
こう考えれば、日本の若者が国民民主党はおろか、参政党やれいわ新選組を支持することさえ、経済的に理にかなっていると言わなければならない。
若者はインフレになろうがそれほど気にしないだろう。そもそも彼らは資産をほとんど持っていないからである。
インフレを気にするのは資産を持っている層や、インフレにまったく勝ち目がない年金で暮らしている老人たちである。しかも引退後の老人たちはインフレに対応できる賃金とは無縁なので、インフレになれば老人たちは万事休すだと言わざるを得ない。
結論
これはいわば若者の復讐である。インフレは若者にとって、老人だけを襲う絶好の武器であると言える。
これまで散々自分たちを虐げる政策を実行してきた自民党と老人たちに対する若者の反逆が、今回の参院選なのである。筆者は以下の記事でそれを予言しておいた。
どうせ政府債務は若者が負担するのだからと無責任な財政政策を何十年も支持してきたつけが中高年を襲おうとしている。自分と無関係の若者であろうが、他人は公平に扱うべきだったのではないか。そうでなければこういう目に遭うからである。