日本の政治が変わりつつあるというのは、多くの人が感じているのではないか。そして恐らく変わったものが自民党への風向きであることは、一定数の人が同意するかもしれない。
日本人の何が変わったか
しかし何が変わったのか。筆者の目線から言わせてもらえば、自民党のやっていることは数十年前から何1つ変わっていない。それが最近特別悪くなったわけでもない。彼らは同じことをやっているだけである。
変わったのは何か。日本人か。しかし10年前に自民党に投票した人は、考え方がそれほど大きく変わったわけでもないのではないかと思う。
変わったのは世代である。前回の記事では、ジェフリー・ガンドラック氏ら世界的な機関投資家が注目するニール・ハウ氏の著書『フォース・ターニング』から、ハウ氏の考え方を紹介した。
ハウ氏は、社会現象における時間とは単に直線的なものではないと主張していた。時間には周期性がある。歴史にはサイクルがあり、あるサイクルが数十年続いた後には別の新たなサイクルがやってくる。
人々の予想と社会の長期サイクル
だが人々は往々にして長期のサイクルの変化を無視しがちである。数十年続いたこと、その人の人生の大半においてずっとそうだったことは、これからも永遠にそのままなのだと誤解してしまう。
金融市場において一番の例は、多くの人が直近数十年の米国株のパフォーマンスを見て、米国株は永遠に上がり続けると考えていることだろう。
しかし以下の記事で説明したように、それは1980年から40年にわたる金利の長期的低下など、この期間に特有の要因があったからそうなったことであり、コロナ後の社会変化でそれらの要因は完全に吹き飛んでいるということを人々は忘れている。
自民党のサイクル
そして恐らくは、自民党についても同じなのではないか。ほとんどの日本人にとって、自民党は自分の人生においてほとんど常に与党であった政党である。最近の国民民主党や参政党などの躍進を見ても、自民党の終焉など心のどこかでイメージできないものと考えてはいないか。
しかしサイクルは終わる。それはなぜ終わるのか。それは自民党が変わったからでも、自民党に投票した人が変わったからでもない。世代が変わりつつあるからである。
日本における世代の変化
世代とは何か。ハウ氏は次のように書いている。
世代とは、歴史上のある一定の期間の間に生まれたすべての人々の集合で、全体として何らかの性格を持っている。
米国株は永遠に上がり続ける。自民党は永遠に存在し続ける。そういう想定が考慮していないのは、社会に存在する各世代は不変ではないということである。
実際には、各世代にはそれぞれ独自の性格があり、そして世代は入れ替わり続ける。
ハウ氏は次のように続けている。
世代は個人と同じように寿命が限られている。世代に所属する人々は、いずれ自分が死ななければならないことを理解している。
世代がどんどん老いて死んでゆくということが、社会が精神を新陳代謝し、発展してゆくことを可能にする。
昭和から平成まで
日本において世代とはどのように変化してきたか。
昔の日本では、男性が極めて強かった。それが昭和を作り上げた。強権的な父親とそれに従う女性や子供という図式が、昔の日本の姿だった。
だが当時の子供は育ち、大人になる。そして彼らの時代が来る。
昭和において男性があまりに強すぎたために、強い男性像が日本の家庭内で大いに嫌われ、強いことが悪徳とされ、弱いことが美徳とされる世代が生まれた。
どちらが悪い、どちらが良いと言っているのではない。価値観はそのように変化してきたと言っているのである。
強いことを嫌う世代は、主に平成を引っ張ってきたように思う。パワハラやセクハラが横行していた昭和に対し、平成ではパワハラやセクハラを糾弾することが流行となった。
平成の価値観を当たり前と思う人々から見れば、「それの何が悪いのか」と言うだろう。しかしそれは平成の世代特有のバイアスである。例えば令和の世代はそうは考えない。令和の世代はセクハラやパワハラを糾弾するのではなく、鼻で笑っている。
令和の世代
それは大きな違いである。考えてもらいたいのだが、平成の世代がハラスメントを大声で糾弾しなければならなかったのは、自分がハラスメントを受けている環境に何故か彼らが居続けたからである。
筆者はずっと主張してきた。経済学的に考えても、ハラスメントを根絶する唯一の方法は、ハラスメントを受けた人がそのような馬鹿げた職場から退職して新天地を探すことである。
本当にそれがトレンドになれば、ハラスメントを行う会社は存続できなくなる。だが何故平成ではハラスメントが横行し続けたのか? 会社側がハラスメントを行おうが行うまいが、人々はそこに居続けたからである。
令和の世代ならこう言うだろう。「なぜハラスメントのある環境にわざわざ居続けるのですか? 意味が分からない」と。
筆者はずっとそう考えていた。なぜ彼らはハラスメントのある場所にずっと居続けて、そこで文句を言うのか? そういう人々が文句を言って変わったためしなど一度もないのに。
だがそれが「弱い」世代のやり方である。ハラスメントに自分で立ち向かう強さもなければ、ハラスメントをして来る相手とおさらばする決断もできない。不満を言いはするのだが、結局はハラスメントの相手と一緒に居続ける。
自民党と平成の世代
自民党にとって、そうした平成の世代は最高の支持母体だった。
以前にも述べたが、自民党は住民税非課税世帯(多くが高齢者である)への現金給付など、高齢者が得をする政策を行う政党である。
では自民党は労働世代から税金を巻き上げ、高齢者に還元することで高齢者の支持を得る政党だったのだろうか? 驚くべきことにそうではない。
以前にも持ち出したが、読売新聞による以下のグラフを見ると、自民党を支持しているのは一貫して現在の30代と40代であって、高齢者の支持はむしろそれより低いことが分かる。
自民党は2017年には20代と30代に支持されていたが、2022年には30代と40代に支持されている。支持している世代自体は変わっていない。つまりそういうことである。
だがこれは極めて奇妙である。自民党はこれらの働き盛りの世代が得をするような政策は一切やっていない。むしろ彼らから社会保険料を大量にむしり取り、それを高齢者に送り続けている。
自民党自身でさえ、何故これらの世代が自民党を支持しているのか、意味が分からないだろう。だがそれは、平成の世代がどういう世代かを考えれば分かる。
彼らはハラスメントを行ってくる相手と共にあり続け、そこで文句を言い続ける(が相手から離れることはない)世代なのである。
自民党と平成がともに終わる
だが、世代はめぐる。ハウ氏は次のように言っている。
若い世代は年老いた世代を置き換え、社会の中身は新しくなり、社会全体の雰囲気や振る舞いが根本的に変化してゆく。
令和の世代は職場でハラスメントに出会ったら、そこに居続けて文句を言い続けようとは思わない。単にその職場に退職代行モームリが差し向けられるだけの話である。
同じように、令和の世代は自分にとって何の得にもならない自民党の政策に対し、「文句は言うが自民党に投票する」という平成世代の意味不明な行動は取らないだろう。
結論
ある世代にとって奇妙でも何でもなかったことが、次の世代にはまったく奇妙に見えることがある。令和の世代は、平成の世代をそのように見ているだろう。
それこそが、永遠にも思えるような長期の社会現象が永遠には続かない理由である。
ハウ氏は『フォース・ターニング』に次のように書いている。
人々が未来は直近の過去からそのまま予想できると考えるとき、その人は次の世代の人々がこれまでの世代の人々と同じように行動すると期待しているわけだ。
だがそうはならない。強権的な父親の時代が終わったように、平成の時代も終わる。世代交代は1年では来ないが、10年、20年かけて少しずつやってくるのである。
自民党に対してモームリが差し向けられようとしている。
今回は政治的観点から書いたが、経済的に令和世代が国民民主党のことをどう考えているかは、以下の記事を参照してほしい。