フォン・グライアーツ氏: 補助金に依存した人々のために増税が行われる国家は滅ぶ

Von Greyrezのエゴン・フォン・グライアーツ氏が自社の動画配信で現代の政治情勢について語っている。

紙幣の価値下落と金価格の上昇

フォン・グライアーツ氏は政治家による紙幣印刷で紙幣の価値が下がることを懸念し、長年紙幣を捨ててゴールドを保有することを推奨してきた。

そして金相場は次のようになった。

このシナリオは、要するにドルを含む紙幣の価値下落、そしてその代わりとなる資産の上昇である。実際、アメリカではトランプ政権が金融緩和を強行しようとしており、政治はその方向へと動いている。

政治家は紙幣の価値を犠牲に政府債務の問題を解決しようとしている。だから金価格が上がっているのである。

これはまさに、莫大な政府債務によって持続してきた人工的な経済成長が、インフレで金利が上昇したことで債務の増加がコントロールできなくなり、金融緩和によるインフレか人工的な経済成長を止めるかの二択を迫られているのである。

債務の時代の終わりと政治的混乱

だが、債務増加の終わりは単に経済的なだけの問題ではないとフォン・グライアーツ氏は考えている。

フォン・グライアーツ氏は次のように述べている。

金融システムの終わりというのは、通貨の価値下落やインフレ、金融資産の下落ということだけを意味するのでない。

政治システムの方でも大きな混乱が起きるということを意味している。

言われてみれば当たり前ではあるが、国家が経済的に立ち行かなくなるとき、政治も混乱する。

例えば日本が裕福だった頃には、国民から徴収された税金があらゆる場所にばらまかれていても、国民は文句を言わなかった。

それ自体もそもそもおかしいのだが、しかし国が貧しくなり始め、増税とインフレを許容しなければばら撒き政策が維持できなくなるとき、政治家と国民はようやく喧嘩を始める。

いずれにしても、政治家はばら撒きを受け取っていた既得権益に媚びるか、減税を求めるこれまで虐げられていた層に媚びるか、それくらいのことしか出来ない。債務問題は解決されないので、いずれにせよ国は沈んでゆくのである。

その状況は何処でも変わらないようだ。フォン・グライアーツ氏は次のように言っている。

ここヨーロッパでも、北米でもそうだが、政治家たちは非常に貧弱だ。そういう時代なのだ。

少なくとも西洋に本物の政治家はいない。

優れた人材から国を出てゆく

元々おかしかった政治システムに人々がようやく反発し始めるとき、政治家と国民、老人と若者は争い合い、そして金はむしり取れるところからむしり取られてゆく。

大体の場合、それは少数意見とならざるを得ない富裕層である。フォン・グライアーツ氏は次のように言っている。

政治家のやることは、税金を大きく上げること、裕福な人々を追い回すために出来ることをすべてやることだ。

例えばイギリスでは2025年に16,000人の富裕層が国外に脱出した。

日本人も、恐らく富裕層に対する課税を躊躇わないだろう。そして、何も悪いことをしていないのに他人が積み上げた債務のために税金を無茶苦茶な度合いまで上げられる起業家または金融家たちは、限度が超えた時点で別の国に逃げ出すだろう。

恐らく多くの国民はそれも気にしないだろう。だがフォン・グライアーツ氏は次のように述べている。

超富裕層かどうかによらず、彼らは国に富を生み出す人々、自分のビジネスを始められる人々だ。

注意してほしいのは、こういう状況で逃げ出すのは逃げ出すことのできる人々だということである。別の国でビジネスを始めることも出来るだろうし、外国語を操れる可能性も一般人より高いだろう。

こうなれば、腐った会社の中でいつも起きるようなことが国家において起こり始める。そうした環境からは、一番優秀な人から順番に去ってゆくのである。

優秀な人は別の環境で快適にやっていくことが出来るが、それが出来ない人だけがその腐敗した環境に残り続ける。

そうして国家は経済的・政治的・人材的に衰退してゆくのである。

結論

フォン・グライアーツ氏は次のように纏めている。

国家が繁栄するのは、すべての人々が繁栄できるとき、そしてビジネスを始める自由がある時だ。国民が補助金や年金に依存する時ではない。

イギリスでは働くよりも失業して補助金をもらう方が良い状態になっている。こうした状況は完全に馬鹿げている。

しかしそれこそがこの社会主義的な世界で起こっていることだ。

口を開けて補助金を待つ人はそういう国に残りたがり、たかられる方の人々は逃げてゆく。

そういう国が出来上がりつつある。資本主義にせよ社会主義にせよ、結局国家は社会主義的な方向に進んでゆくのである。そして当たり前に沈んでゆく。

マクロ経済学の創始者であるアダム・スミス氏は有名な『国富論』の中で、誰かから奪い取って別の誰かにお金を与える補助金のような政策について次のように言っていた。

乞食だけが同胞市民の情けに依存しようとする。いや、乞食でさえも完全に情けに頼り切ることなどしない。

そしてそういう国家は衰退してゆく。こういう古典の中で既に結論が出ていることを、人々は身をもって体験して初めて理解するのである。

賢明な人々は古典を読むべきである。愚者は経験から身をもって学ぶだろう。


国富論