株式市場の全ポジションを決済し利益確定、コモディティ市場に注力

株式市場の全ポジションを一旦閉じることにする。これまでにも言及してきたが、米国株と米国の金融政策を巡る状況が予定よりも早く次の段階へ進みつつあるからである。先ずは2015年11月に立てた2016年の投資戦略を振り返ってみたい。

この記事に書いた2016年の米国株の見通しは、10%から30%程度の急落は起こりうるが、バブルの完全な崩壊はまだ起こらず、しかし株価は上昇もしない、というものであった。その後、株価はどうなったか?

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1月から2月にかけての下げ幅は15%ほどで、しかも株価は崩壊せず戻している。まさに予想通りの展開と言えるだろう。

この時に前提にしていたのは、Fed(連邦準備制度)が利上げを撤回するまでの相場環境で、上記の記事はそれまでのシナリオにおける株価予想であった。つまり、Fedが利上げを行えば金融市場と実体経済の両方にとって致命的となり、したがって株価は上がることはない、という論理であった。

しかしFedは年始の下げで想定利上げ回数を早々と引き下げた。そのためドルは下がり、輸出株は持ち直し、株式指数も上昇した。金融引き締めを半分撤回したことで株価が少なくとも反発した構図であるが、ここで問題となるのが、米国が金融緩和に逆戻りすれば米国株は再び上昇に転じるのか? という点である。

米国の金融緩和再開

個人的には多分上がるのではないかと思っている。著名ファンドマネージャーにもそう思っている人物が何人かいる。例えばBridgewaterのレイ・ダリオ氏が、低金利下では債券は買えず、消去法で株が買われる可能性があると指摘していたことを思い出したい。

国債から社債、社債から株式や不動産へと流入していた資金が、利上げによって社債および国債の市場へ逆流してゆくというのが量的緩和バブルの崩壊であるが、市場はまだこの時点に達していないというのがダリオ氏の主張である。

あるいは、ジム・ロジャーズ氏はもう何年も量的緩和相場の終わりを同じ表現で予想し続けている。量的緩和相場が終わりに近づく頃、株価は急落し中央銀行はパニックに陥る。そうして彼らは利下げや量的緩和の再開など、出来る限りの手段で市場を救おうとする。そうすれば株価は一旦息を吹き返すかもしれないが、そこが最後の上げ相場である、というものである。

ただ、いずれにせよわたしも彼らもこの可能性についてあまりポジティブな表現を用いていない。何故ならば、いずれにせよわれわれは量的緩和相場の終わり近くに位置しているからである。今ここで資金を賭けるくらいならば、同じ額を例えばアベノミクス開始時の日本株ポジションに上乗せしていれば良かったのである。

祭りの終わりに乗っかろうとするのは良い投資とは言えない。一方で、例えば米国の利下げや量的緩和の再開が株価を一時的に持ち上げる可能性を否定するものでもない。だから撤退するのである。

ポジションはどうなったか?

さて、上記の株式相場見通しとともにわたしはどういう利益を上げたのか? 株価は下落して同じ水準まで戻ってきたわけだが、そのような相場でも利益が上げられる投資と言えば、オプション取引である。

上記の記事でも書いた通り、わたしが選択したのはS&P 500の空売りと、個別株プット・オプションの売りを組み合わせるものであった。空売りは下がれば儲かる取引であり、プットの売りはその個別株が一定期間下がらなければ(横ばいでも)儲かる取引である。オプションについては以下の入門記事を参考にしてほしい。

空売りとプット・オプションの売りを組み合わせた場合、理論的にはコール・オプションの売りと同じ効果を持つ。つまり、一定期間上がらなければ利益が出る取引である。

年始からの相場では輸出株や資源株などセクターによって値動きがかなり違ったため、銘柄を入れ替えながら個別株のオプションを有利な値段で売り続けることが出来た。ポジション全体としては半年ほどで10%近い利益となっており、このような相場ではかなりの合格点と言えるのではないか。株式市場からの利益はこれでとりあえず満足とし、金と原油に集中することとしよう。

株式相場の見どころ

さて、これで次にポジションを取るまでわたしは株式市場においては傍観者となるわけだが、それでも株式市場の動きには注目している。それは一つにはジョージ・ソロス氏の相場予想がある。

この記事では様々な著名投資家の相場予想を取り上げたが、そのなかでソロス氏のみが米国株の空売りをはっきりと宣言していた。彼はFedが緩和に転じても株価は下がると踏んでいるのだろうか? わたしの意見は上に書いた通りだが、ソロス氏には何か別のものが見えているのかもしれない。わたしは十分に利益を得たので退散である。ソロス氏のお手並みを拝見させてもらうとしよう。