世界最大のヘッジファンド: 紙幣印刷で経済成長率は救える

世界最大のヘッジファンドBridgewaterを運用するレイ・ダリオ氏が怒涛の勢いで論考をアップしているため、ここでは連日その内容を紹介している。

コロナ以後、紙幣印刷の悪影響を懸念する声は特にヘッジファンドマネージャーらの間で大きく、ダリオ氏もその例に漏れないが、ダリオ氏は出来る限り客観的に物事を見る論者であり、紙幣印刷の良い部分も説明しているので今回はそれを紹介しよう。

1970年代のインフレとその後

前回までの記事では戦後にあたる1960年代に日本とドイツの経済が台頭し、アメリカ経済が弱まったことから米国政府は紙幣を増刷、結果として1970年代が物価高騰と景気後退の時代となったことをダリオ氏が紹介していた。

このインフレはボルカー議長の断固たる金融引き締めによって収まり、中央銀行は次第に金利を低くしていった。しかし膨大な債務は残ったままであり、ダリオ氏はそれが更に深刻な景気後退を引き起こすと予想した。しかしその予想は外れることになる。

わたしはこれらの債務が大不況を引き起こすと予想したが、それは来なかった。しかもそのシナリオに大きく賭けたために膨大な損失を負った。

この時わたしは本当に一文無しになり、生活費を工面するために父親に4,000ドルを借りなければならなかった。

世界最大のヘッジファンド運用者にもそういう時代があったのだという。しかし何故この時債務は問題にならなかったのだろうか? ダリオ氏は次のように説明している。

わたしが見逃し、この経験から学んだことは、中央銀行が印刷できる通貨で負債が存在するとき、債務危機は管理可能であり、経済全体の脅威とはならないということだ。

中央銀行がローンを焦げ付かした銀行に資金を供給し、しかもアメリカの会計基準では焦げ付いたローンを損失として計上する必要がなかったため、これらのことは処理不可能な大問題とはならなかった。

表沙汰にならないものは当面の間は存在しないも同じだということである。この論理は一見無茶苦茶だが、金融市場にとっては重要である。金融市場は一度パニックになると問題を実態よりも大きくしてしまうからである。

問題はその当面の間に負債の問題を解決できるかどうかなのだが、ダリオ氏は膨大な負債は「美しい債務整理」によって解決されるべきだと口癖のように言っているので、時間を稼いでいる間に債務を何とかするという解決法もありだというのがダリオ氏の主張なのだろう。

金融緩和の対価

ボルカー議長による強烈な金融引き締め以後、金融緩和によってすべては救われたのだろうか? 結果から言うと経済成長率は救われたが、ドルは犠牲になった。以下が1980年代前半の利下げトレンド開始以降のドル円の推移である。

今思い返せばこの期間のドルの下落は先進国の通貨とは思えない急落である。ドルは半分以下になっているが、これはアメリカ国民の資産が実質的に半分以下になったということである。

一方で利下げ開始以降、株式市場とGDPは持ち直した。両方ともドルで計算しているのだから当たり前である。しかし本当はGDPが上がったのではなく、ドルが下がったのである。同じ期間のアメリカのGDPを円建てで表記すると以下のようになる。

15年間何も成長してなどいないのである。その後アメリカ経済が本当の意味で成長を始めるにはインターネットの隆盛を待たなければならなかった。1995年と言えばWindows 95の年であり、この頃からアメリカ経済はようやく本当に成長を始めることになる。

自国通貨建ての繁栄

ダリオ氏はこうした「自国通貨建ての繁栄」の時期における資産防衛について以下のように語っている。

通貨の価値が安ければ安いほど資産価格は高くなる。

よって中央銀行が大量の資金と信用を供給し、その価値を弱めているときには思い切って資産を保有するのが賢明だと言える。

しかし問題はどんな種類の資産を買えば良いかということである。個人投資家が一番最初に思いつくのは株式だろうが、こうした時期には株式も問題を抱えたのは前回説明した通りである。

ダリオ氏にとって株式は買いなのだろうか。事実は何かと言えば、ダリオ氏はコロナ後の株高でも米国株は買っていないということである。

そしてダリオ氏は通貨の暴落を懸念している。

ここまで考えればダリオ氏の考えていることが分かってきそうなものである。

これまでに何度も言っているように、新型コロナによる未曾有の規模の景気後退で株式も債券も為替も無事だというシナリオは有り得ない。どれかは犠牲にならなければならない。

ではダリオ氏はどれが犠牲になると考えているのかと言えば、それは恐らく為替なのだろう。ダリオ氏は明らかにドル暴落によるアメリカの凋落を考えている。

1980年以後のトレンドが15年のものだったことを考えれば、ダリオ氏の賭けはかなり長期のものとなりそうである。われわれも同じスパンで物事を考えるべきなのだろう。