上海で行われたG20は世界同時株安に対応できたのか?

2016年2月27日、2日間にわたって上海で行われていたG20の財務省・中央銀行総裁会議が閉幕した。1月から続いている世界同時株安に対応するため、市場では各国が協調して対策を打つことが期待されていたが、その目的は果たされただろうか? 発表された共同声明を含め、各国代表の発言を見てゆきたい。発言の引用元はロイターである。

共同声明

  • 金融政策は引き続き、経済活動を支援し、物価安定を確かなものにするが、金融政策だけでは均衡成長は実現できない
  • 均衡の取れた成長や市場の安定に向け、財政を含めたあらゆる政策手段を動員する
  • 最近の市場の動揺の程度は、世界経済の基調的ファンダメンタルズを反映していない

先ず、大方の予想通りに盛り込まれたのが、財政政策など金融政策以外の手段を活用するという表現である。

日銀やECB(欧州中央銀行)の追加緩和で株安が止まらなかったことから、金融政策への不信が募っているなかで、株安に対抗するため財政政策への言及が今回のG20での前提条件となっていたから、声明に盛り込まれていることは既定路線なのだが、問題は各国がどれほどそれに応じるかである。

では各国はどう反応したか? 無論ドイツは財政出動には同意しない。

ドイツ・ショイブレ財務相

  • 過去の財政出動と緩和的な金融政策の成長押し上げ効果は限定的で、結果的に世界で公的・民間債務水準が高過ぎる状態になった
  • ユーロ相場、独経済にとりやや低過ぎる
  • われわれはG20の財政刺激パッケージには同意しない

世界的な債務の膨張に言及している点で彼の発言にはマクロ経済的に一理ある。

しかしドイツが無責任であるのは、ドイツにとって安い共通通貨ユーロのためにドイツの財政は黒字となっており、しかもこのドイツの黒字は、ギリシャなど逆にユーロが高いと感じる国々の財政赤字という犠牲の上に成り立っているものだということである。この点についての経済学的説明はソロス氏発言を取り上げた記事に書いている。

つまりはドイツは南欧諸国から共通通貨ユーロを通じて実質的に資金を吸い取っているにもかかわらず、その資金を財政政策という形で実体経済に還元するどころか、ドイツのために赤字と高い失業率に苦しんでいる南欧諸国に緊縮財政を押し付けているわけである。ドイツの偽善と自己中心主義は今に始まったことではないので、ここで深入りすることは避けておく。

米国・ルー財務長官

  • 利用可能なあらゆる政策手段を用いることの重要性が高まっており、それは財政政策および金融政策、構造改革の利用を意味している
  • ドルの強さは経済の強さを反映したもの
  • 英国がEUに残留するのが、英国および欧州の国益と経済的利益にかなう

一方で、米国のルー財務長官は財政政策の活用を訴える。恐らく共同声明は彼が主導したものだろう。

財政政策の活用とはまさに経済学者ラリー・サマーズ氏の主張に合致しており、もしかするとバーナンキ氏ら主流派の経済学が世界経済の現状を上手く説明できていないことをルー氏が認識し、先進国経済の長期停滞を警告するサマーズ氏の主張を一部取り入れたのではないか。

英国のEU離脱の国民投票については残留支持であり、アメリカとしては親しいイギリスがEU内部で影響力を行使していてほしいと考えるのは当然だろう。ちなみにイギリスの友人たちによれば、国民投票の結果がどうなるかはイギリス人にとっても未知数だそうである。EUにおけるイギリスの歴史的立場については、以下の記事で詳しく説明した。

日本・麻生財務相

  • 最近の市場変動は、世界経済のファンダメンタルズを反映していないとの認識で一致した

日本からは麻生財務相と黒田日銀総裁が参加しているが、大した役目は果たさなかったようである。

上記発言は声明にも書かれている通りであるが、政治家が相場を語ることなど出来ないのである。アベノミクス後の株価2倍がファンダメンタルズを反映していて、その後の15%程度の下落がファンダメンタルズに反した過剰反応だとでも言うのだろうか。ソロス氏の言葉を借りれば、市場は常に間違っているが、政治家はそれ以上に間違っているのである。麻生氏は自分が正しいと思うのならヘッジファンドでも始めたらいかがか。

わたしはこうした政治家の見当違いな意見そのものが最近の市場の動揺の原因の一つではないかと考えている。世界経済の状況を一切理解していない政治家が市場の混乱に対応できるはずがないのである。

結論

ということで、大方の予想通りG20は各国がそれぞれ勝手な主張を打ち出しただけで終わった。一部の投資家は財政出動を期待していただろうが、今回の共同声明が実際に各国の財政政策に影響を与えることはないだろう。政治家がまだ起きていない危機に対応することはない。だからすべてが手遅れになるのである。