パナマ文書の裏に潜む諸大国の野心: オフショアとタックスヘイブンをめぐる競争

これでアメリカの一人勝ちが確定か、というのがパナマ文書について聞いた時のわたしの第一印象である。プライベート・バンキングに詳しくない人々には何を言っているのか分からないだろうと思う。

順に説明しよう。2016年4月、パナマにある法律事務所Mossack Fonsecaの機密書類と思われるデータ2.6TBが、匿名の情報提供者によって南ドイツ新聞の記者Bastian Obermayer氏のもとに持ち込まれた。このデータにはMossack Fonsecaが登記したと推定されているオフショア会社の情報が含まれている。

各国首脳や著名人およびその近親者がオフショアを利用していたとのことで話題になっているが、ただ状況を説明しただけの記事はほかに沢山出ているから、この記事ではパナマ文書の背景にある各国の思惑について解説してみたい。それぞれの国が著名人の租税回避行為を批判しているように見えながら、本当に考えていることは別にあるのである。

例によって、筆者は会計あるいは法律についての資格をどの国でも持っていないから、内容の正確さについては免責事項を承知の上で読んでもらいたい。

誰がリークしたのか?

先ず考えたいのは誰がリークしたのかである。人物の特定までは出来なくとも、その人間の意図を探ることはできる。ちなみにMossack Fonsecaも主張している通り、パナマ文書の流出によって現状明らかになった犯罪はこれら機密書類の盗難のみである。

パナマ文書はハッキングによって流出した。WikiLeaksのTwitter(原文英語)によれば、4月1日、Mossack Fonsecaは自社のメールサーバにハッキングが行われたことを報告している。

このハッキング自体は難しいものではなかったらしい。Forbesの調査(原文英語)によれば、Mossack Fonsecaは脆弱性が報告されているソフトウェアを顧客向けのポータルサイトなどに使用しており、脆弱性があるということは、それを知っている技術者ならばハッキングが出来るということである。

ではある程度のプログラマであれば誰でもハッキングは可能であったのか? 話はそう単純ではない。ハッキングが簡単であったとしても、そのハッキングに痕跡が残らないことを保証するためには、ネットワークセキュリティに関する相応の知識が必要となるからである。

この匿名の情報提供者は文字通り命の危険に晒されていた。南ドイツ新聞への情報提供の際には暗号化されたチャットツールを使い、命の危険があるからと直接の接触は一切行っていない。

このハッキングは犯罪である以上、Mossack Fonsecaのサーバや経由されたネットワークには捜査当局の捜査が入る。専門の技術者がサーバからサービスプロバイダまですべてを調べるだろう。彼らの捜査から逃れられるという確信を得るためには、彼らと同等の専門知識が必要となる。だからこれは専門知識を持った技術者の犯行である。

では、ネットワークセキュリティの専門家は世界の誰が含まれるのか? 先ずは個人のハッカーであり、次にセキュリティ専門の企業や、大企業のセキュリティ部門などの民間団体であり、そして最後に軍や諜報機関などの政府組織である。企業がわざわざ利益のない政治的犯罪に手を染めることは考えづらいから、個人のハッカーか政府機関のどちらかだろう。

ここからは推測の域を出ないため断定はしないが、情報提供者となるためにはもう一つの要件がある。オフショアでの登記やそれを専門にしている法律事務所とその顧客などの情報に詳しいことである。この人物は何処に何があるかを知っていた。

こうしたプライベート・バンキングの知識は本来銀行家の領分であり、ハッカーと金融関係者は折り合いがあまり良くない。想定されるレベルのIT技術者ならばわたしの周りにも結構居るが、ITセキュリティの技術者でプライベートバンキング業務の知識がある人物というのはかなり限られる。

これは推測でしかないが、ハッカーの個人的行動であれ、何らかの組織的犯行であれ、このハッキングは単独犯によるものではないと考えている。ITと金融にそれぞれ詳しい人物がともに在籍したグループがあったと考えるべきだろう。

誰が得をするのか?

より詳しく情報提供者を絞り込むためには、このハッキングで得をするのは誰かを考えてみるべきだろう。リークには目的があり、リークが成功したのであれば、その目的は起きた結果のなかにある。

この流出で明らかにダメージが大きいのは中国とロシアである。プーチン大統領と習近平国家主席に親しい人物の名前がそれぞれ挙がっており、西側のメディアでも大きく報道されている。

中傷されたロシア側はこのハッキングをCIAの犯行だと批判している。個人的な見解では、必ずしもCIAに限られるわけではないと思う。反ロシアの政治グループはCIAの他にも沢山ある。

例えば、この膨大なパナマ文書を独占して分析しているICIJ(国際調査報道ジャーナリスト連合)は、反ロシアの政治活動家ジョージ・ソロス氏らの資金提供を受けている。現在パナマ文書はデータそのものが公開されておらず、ICIJがデータの一部を選び出して公開している訳だが、公開される情報の選び方に政治的な恣意的選択が無いわけがないと思う。

中国やロシア関連のデータは恣意的に選ばれて公開されている。そもそも、登記に関するデータそのものは違法性を示すものではなく、資金の違法性は実際に捜査がされるまで分からない。それではICIJは何をもって怪しいデータとそうでないデータを区別しているのか? 更に言えば、匿名の情報提供者もデータを削除あるいは改変する機会があったわけである。

また、旧共産圏と対立する政治グループの他にわたしが思い付いた利害関係は、タックスヘイブンとしてのアメリカである。

タックスヘイブンとして一人勝ちするアメリカ

アメリカがタックスヘイブンとはどういうことかと思う読者もある程度居るだろうから説明すると、最近のプライベート・バンキングでの流行は、アメリカに資産を移すことなのである。

少し前まではペーパーカンパニーの所在地としてはケイマンや英領ヴァージン、銀行口座としてはヨーロッパではスイスなどが人気であったが、こうしたオフショアの国々がOECDの圧力を受け情報公開に協力しつつあることで、世界の富裕層はアメリカに資産を移し始めている。

例えば、スイスの銀行口座の匿名性はほぼ死んだと言われている。アメリカの圧力に屈して情報公開に同意したことを始め、最近では口座情報などに関するOECDの自動情報交換に同意し、スイスの銀行は一定の顧客を失いつつある。しかしこうした顧客はスイスを捨ててアメリカに向かっているのである。

アメリカはスイスに圧力を掛けて銀行口座情報を開示させたが、それは必ずしもアメリカが不透明な資金の流れを憂慮しているからではない。何故そう言えるかと言えば、アメリカ自身がより強力な匿名性を提供しているからである。

アメリカにおけるタックスヘイブン

上記のOECDの自動情報交換には31カ国が合意しており、日本を始めスイス、イギリス、ドイツ、フランス、オーストラリアなど主要国が参加しているが、OECDの声明(原文英語)でも読むことが出来る通り、この中にアメリカは含まれていない。

何故かと言えば、アメリカは国内にタックスヘイブンを抱えているからである。アメリカでは登記に関する法律は州ごとに異なるが、そのうちネバダ州やワイオミング州、デラウェア州などは実質的なタックスヘイブンとなっており、ケイマンや英領ヴァージン諸島などよりも強力な匿名性を提供している。

ケイマンなどでは少なくとも会社の所有者は名前や住所を法律事務に伝える必要がある。今回はこれが流出したわけである。

しかし、例えばデラウェアでは「図書館カードを作るために必要な情報よりも少ない個人情報で会社を登記できる」(CNN、原文英語)、あるいは「会社の所有者や取締役の名前や住所を使わずとも、デラウェアの代理人の名前を使えば良い」(NYT、原文英語)のである。英ガーディアン誌は、パナマ文書の流出によせて「パナマなど忘れよ、アメリカではより簡単に資金を隠せる」(原文英語)という記事を書いている。

世界が競うタックスヘイブンの運用

何が言いたいかと言えば、世界各国は不透明な資金の流れを表向きには批判する一方で、水面下では各国がその資金の流れを自国に引きこもうと激しい競争が行われているのである。

アメリカは自国内の州にタックスヘイブンを持ち、イギリスは旧植民地であるケイマンや英領ヴァージン諸島などでタックスヘイブンを運用している。ヨーロッパ大陸ではスイスやリヒテンシュタインなどが有名である。中東もドバイなど独自のものを用意している。各国が競って自国側のタックスヘイブンを擁護するのには理由がある。

先ず、グローバルビジネスには課税ゼロのペーパーカンパニーが不可欠であり、法律事務所に流れる登記の費用や、銀行口座や資産運用に関する手数料、法人税の呼び込みなどは一大ビジネスであるということである。

グローバル企業は営業を行う各国で法人を持つことになるが、その法人は当然各国の法律で課税される。そして各国の法人の利益が本社へ持ち込まれることになるが、その本社にも課税がされるのであれば課税が二重に行われることになる。

一般には誤解が大きいが、タックスヘイブンの課税ゼロというのは、登記した国で課税ゼロということであり、そのペーパーカンパニーが別の国で行った事業はその国で課税され、ペーパーカンパニーの所有者は受け取った配当などに対して自分が居住者である国で税金を払う必要がある。ペーパーカンパニーはグローバルビジネスにおいて必要なスキームとして利用されているのであり、これについては以下の記事で説明している。

したがってタックスヘイブンが無くなることはない。こうした流出騒ぎなどで、世界各国がタックスヘイブン全体への締め付けを強くするように動いていると特に日本人は誤解するわけだが、単にタックスヘイブンを持つ大国同士が自国のタックスヘイブンを有利にしようと互いに殴りあっているだけなのである。

オフショアさえ持たない日本

この記事ではアメリカの優位性について触れたが、別にアメリカを責めているのではない。むしろ彼らは上手くやっている。パナマ文書でケイマンなどが窮地に追い込まれればアメリカはタックスヘイブンとして一人勝ちである。

パナマ文書に日本の住所があまり含まれなかったこともあり、日本政府は自分たちには関わりのないことだという風に振舞っているが、日本が海外の富裕層やグローバル企業の資金の呼び込みを一切行っていないことは、国際的な常識の観点からは、日本の銀行や法律事務所を他国のビジネスに対して不当に不利な立ち位置に置いていることになる。

これは会社の登記に関してだけではない。例えばイギリスは、ロンドンを人民元のオフショア取引の拠点とするために長年努力をしてきた。イギリスがロンドンで習近平氏をもてなしたことにはそうした背景もある。イギリスは何も戦略なしに中国と仲良くしているわけではない。

このイギリスの悲願が実現すれば、ドル、ユーロ、人民元のオフショア取引(本国以外での取引)の大部分がロンドンで行われることとなる。イギリスは基軸通貨であったポンドを失ったように見えるが、実際には世界の為替取引の大部分をいまだ支配しているのである。

しかし日本はどうなのか? 中国の横にありながらオフショア人民元取引の拠点の地位を他国に持っていかれるとはどういう体たらくなのか? わたしが見れば有り得ない状況だが、日本人は誰も気にしていない。日本の金融業界にまともな人材などいないのである。

タックスヘイブンも同様であり、富裕層やグローバル企業の資金を日本に置いてもらうことなしにどうやって銀行業が成り立つというのか? 日本はもはや製造業では生きてはいけないのであり、途上国のように低賃金労働者を確保できない以上、金融を含めた知的労働にシフトする他に道はないのである。通貨安政策と公共事業で死にかけの輸出業と建設業にいまだに資金を注入する自民党の何と愚かなことだろう。

また、オフショアの有無は国の安全保障にも影響する。各国の有力者は自分たちの資金がある国が戦争で無茶苦茶になってほしいとは思っていない。また、オフショア口座の用途の一つとして、各国の諜報機関が秘密作戦の費用の送金などに使うというものがあり、オフショアがなければまともな諜報活動さえ出来ないのである。日本という国の対外戦略は無茶苦茶なのである。

日本の将来

日本が諜報や金融といった虚業に距離をおいて戦後の70年を生きてこられたことは幸いであったのかもしれない。その大きな要因の一つは、アメリカという大国の側に一貫して就いてきたことにあるのだろう。この70年の平和は、例えば沖縄でアメリカ兵に強姦された何人もの日本人女性の犠牲の上に成り立っている。

しかし時代は変わる。中国経済はバブル崩壊の途上にあるとはいえ、中国がある程度大国となったことは確かである。ヨーロッパにおいてはドイツが周辺国を従えようとしている。

アメリカが唯一の強国であった時代には、アメリカが中東やベトナムで人を殺しているのを黙認すれば日本は平和を得られたかもしれない。しかし状況は変わる。大統領選候補のトランプ氏は既にそうした状況からの離脱を示唆している。

複数の強国に囲まれるような状況においては、日本は自分で生きてゆくための手段を身に付けなければならない。そして今、日本は軍事のみならず経済的にも丸腰なのである。

多くの日本人は富裕層が無条件で嫌いなのかもしれないが、可能であれば、そうした型に嵌まった批判から距離を置いて、各国の富裕層とも上手くやってゆく道を見つけてほしいものである。少なくとも日本だけが置いてゆかれている現状には気付くべきなのである。