サマーズ氏: 高齢化社会で今後政府の予算は増えてゆくべき

アメリカの元財務長官でマクロ経済学者のラリー・サマーズ氏が、高齢化社会において政府の財政出動の果たすべき役割についてPeterson Institute for International Economicsでの講演で語っている。

「大きな政府」と「小さな政府」

政府の大きさは、海外では大きな問題だ。より経済学的に言えばGDPに占める政府支出および投資の割合である。

アメリカではこの問題は政党の区分にもなっている。バイデン大統領の所属する与党民主党は伝統的に政府予算を拡大する政党であり、野党共和党は、一応は「小さな政府」を目指す政党ということになっている。(実際には筆者は、小さな政府を信じる人間はそもそも政治家にはならないと考えている。)

サマーズ氏は民主党であるクリントン政権時代の財務長官であり、民主党の支持者である。だから彼はこのように言う。

経済において政府がどれくらい大きな役割を果たすべきかについては、人によって見方が違うだろう。だが、どのような価値観の人であっても、今後10年は政府がこれまでよりも大幅に大きくなるべきだと信じるべきだと言いたい。

まあ理由を聞こう。今後10年はどういう時代になるのか。サマーズ氏は次のように語っている。

1つ目は、負債が大幅に大きくなっているので、金利も大幅に大きくなるからだ。結果として利払いも大幅に大きくなる。

これは債券の専門家であるジェフリー・ガンドラック氏も以下の記事で指摘していたことである。

ガンドラック氏の指摘によれば、アメリカ政府の利払いが増えるのは債務が増えていることだけが理由ではない。インフレ対策の利上げで国債の金利が上がっているので、当然政府の利払いも多くなる。以下はアメリカ政府の利払い(GDP比)のチャートである。

利払いが多くなるので、それに応じて予算も増やすべきだというのがサマーズ氏の理屈なのだろう。

高齢化と政府債務

そして2つ目の理由は政府債務である。サマーズ氏は次のように述べている。

2つ目の理由は、政府のやることの多くは、年寄りの世話をすることだからだ。予算の半分以上が社会保障や医療制度に行っている。

65才以上が人口に占める割合は、1990年には12%だったが、その後新たな水準に達し、2030年には22%になる。

老人が増えるので年金(アメリカでも似たような制度がある)などの支払いにかかる費用をそれに応じて増やすべきだという理屈である。

サマーズ氏はこう続けている。

価値観が変わらなければ、社会がより老いた場合、政府は高齢者により尽力すべきだ。高齢者の割合が大幅に増えたという事実が、高齢者へのサポートを削減するという考えに繋がって良い理由は、わたしには見当たらない。

公的ネズミ講としての年金制度

だがそもそも考えてほしいのだが、年金はネズミ講だ。人口が永遠に増加し続けることを前提にしているが、人口は永遠には増加し続けないので、必ず破綻するように設計されている。

同じ問題に共和党支持者であるスタンレー・ドラッケンミラー氏(ジョージ・ソロス氏のクォンタムファンド出身)は次のように述べている。

アメリカの平均的な65歳は、生涯で政府から受け取るお金が支払うお金よりも32万5,000ドル多くなる。だが若者かこれから生まれる世代は、支払う金額が受け取る金額を大きく上回る。

破綻することが確定している制度を前にして存在する問題は、今の高齢者に多く払うのか少なく払うのかの違いではなく、若者世代を犠牲にして高齢者に多く支払うのか、そうではないのかの違いだけだ。

読者には周知のように、筆者はサマーズ氏を存命人物で唯一の優れたマクロ経済学者だと考えている。

だが、サマーズ氏のようなリベラル派の人間は、口では大盤振る舞いするように語りながら、その財源は常に他人の金である。この場合について言えば、それは若者の金である。

リベラルの人々は大盤振る舞いしたいという自分の欲求の対価を、自分の財布から支払うということは絶対にやらない。

ドラッケンミラー氏は次のようにさえ言う。

高齢者はここ30年か40年の間、制度を通じて若者世代からの資産移転を実行してきた。

結論

ちなみに日本ではこの問題はほとんど話題にさえならない。日本では小さな政府を標榜する政党がほとんど皆無だからである。

だが日本において一番愚かなのは、労働世代から高齢者に資金を吸い上げる政策を実行してきた自民党を一番支持しているのが、高齢世代ではなく30代および40代の、今まさに社会保険料を絶賛搾取され続けている労働世代だということである。

出典: 読売新聞

世の中でパワハラやセクハラが問題になるのは、自分に害を与える人間や会社や政府に心理的に依存しているこの世代のメンタリティが大きな原因であると筆者は考えている。

政治家の本質が他人の金を使うことである以上、政治家は変わらない。人の金で大盤振る舞いしたいおっさんたちは十分以上に痛い存在だが、そのおっさんたちに貢ぐ人々はそれよりも更に痛い存在である。永田町のキャバクラほど儲かる商売はない。

所有者を自分から好んでゆく奴隷は一生奴隷のままである。自分が何を支持しているのか少しでも自分の頭で考えてみると良いだろう。