レイ・ダリオ氏、上司を殴って会社を辞めた時のことを語る

世界最大のヘッジファンドBridgewaterを創業したレイ・ダリオ氏がMoney Maze Podcastのインタビューで、Bridgewater創業前夜に当時勤めていた会社の上司を殴った時の話をしている。

ダリオ氏の子供時代

ここでは普段著名投資家の相場観を報じているが、今回ダリオ氏は珍しくプライベートな過去の話をしている。

まずダリオ氏はどういう子供だったかという話から始まる。彼は子供時代を振り返って次のように言っている。

わたしは奔放な子供だった。責任感というものがなかった。

父はわたしに芝刈りをやらせた。まあ芝刈りはやるべきだろう。小さな家で、表と裏に芝生があった。父がわたしに散々催促した後、わたしはようやく表の芝刈りをやったが、裏はどうせ雨が降れば伸びるだろうからという理由で次の日に回した。

学校も嫌いで勉強もしたくなかった。興味が沸かなかった。金融市場は好きだったが。

ダリオ氏は金融市場が好きな子供だったらしい。しかもそれは驚くほど早い。ダリオ氏は初めて株を買った時のことを次のように話している。

12歳の時にお遣いをして得たお金で初めて株を買った。お遣いを頼んでくれた人たちが株式の話をしていたからだ。1960年代だった。

ダリオ氏の修行時代

ダリオ氏はその後ハーバード・ビジネス・スクールに進み、Shearson Hayden Stoneという証券会社でサマーインターンをやることになる。そのインターンでダリオ氏は後の相場観に大きな影響を与えることになる出来事を経験する。ニクソンショックである。

その話については以下の記事で報じている。

そして結局、ダリオ氏はそのままその会社に就職することになる。彼は次のように続ける。

当時わたしはコモディティに興味があったので、コモディティ担当としてShearson Hayden Stoneに雇われた。

ダリオ氏は元々コモディティ専門だったらしい。間違いなく株式ではないだろうとは思っていた。金融業界に入りたいと思っている若者がもし読んでいれば、筆者も株式ではなくコモディティや債券をお勧めする。株式から入ると株式しか出来なくなる危険がある。

ダリオ氏、上司を殴る

ダリオ氏に話を戻そう。ダリオ氏はめでたく就職先を見つけたのだが、この会社で事件が起きる。その時のことをダリオ氏は次のように語っている。

だがわたしの中にはまだ奔放な性格があった。わたしの上司は良い人だったのだが、大晦日に会社のパーティがあり、わたしと上司はパーティの前に一緒に飲みに行った。そこで上司と喧嘩になり、彼を殴った。

それでわたしも上司も同僚も、わたしはもはや会社にいるべきではないという結論に至った。

どうにも気まずい状況である。何故喧嘩になったのかその理由は触れられていないが、気まずそうに「自分は奔放だった」と話すダリオ氏から察するに、若気の至りと言うべき理由だったのだろう。

ダリオ氏は自分の性格について次のように言っている。

責任感ある人間になったのは子供ができてからだ。

上司を殴ってからBridgewater創業まで

さて、実質的に会社をクビになったダリオ氏だが、ここで終わらなかったのがダリオ氏がダリオ氏たるゆえんである。

彼はクビになっても仕事には困らなかった。彼は次のように説明している。

だがShearson Hayden Stoneの顧客はその後もわたしの話を聞きたがり、お金を払ってくれると言った。

わたしはその提案に乗ってそのビジネスを始めた。それは会社になった。

結局のところ、金融業界では優秀な人のところには自然にお金が集まってくる。丁度、クレディ・スイスを辞めて自分の顧客に対してビジネスを始めたゾルタン・ポジャール氏と同じような状況だろうか。筆者はクレディ・スイスにポジャール氏は宝の持ち腐れだと常々思っていた。

投資銀行は長年在籍するような場所ではない。優秀な人は自分で儲けられるので、早々と辞めて自分の会社を立ち上げてゆく。会社の名前がなければ仕事が出来ない人だけが投資銀行に残って昇進してゆく。それが例えば筆者がJP Morganのジェイミー・ダイモン氏をまったく評価していない理由でもある。

Bridgewater創業

というわけで、ダリオ氏は自分の会社を設立した。それが今や世界最大のヘッジファンドとなったBridgewaterである。彼は次のように述べている。

ハーバード・ビジネス・スクール卒業後にBridgewaterという名前のトレーディング会社を立ち上げたことがあったので、その名前を使った。それが今のBridgewaterの創業だった。

だが恐らくポジャール氏のリサーチ会社もそうだろうが、最初の内は会社の資産は彼の頭だけである。他には何もない。ダリオ氏は次のように説明している。

だが当時のBridgewaterは会社と呼べるようなものではなかった。わたしのマンションには2つ部屋があったが、その内の1つから友達が出て行ったので、その部屋で仕事をすることにした。それがBridgewaterだ。それが始まりだった。

ほとんど在宅ワークのようなものだ。だがそれで商売が成り立ってしまう。頭だけでビジネスが成り立つ。それが金融業界である。

ポジャール氏もゆくゆくはヘッジファンドを立ち上げるのだろうか。恐らく今の彼のビジネスの形態は、初期のBridgewaterに近いものだろう。