ドラッケンミラー氏: 25歳で株式調査部の部長に選ばれたのは投資の素人だったから

ジョージ・ソロス氏のクォンタム・ファンドを運用していたことで有名なスタンレー・ドラッケンミラー氏がHow Leaders Leadのインタビューで、ファンドマネージャーになる前の自身のキャリアについて語っている。

ドラッケンミラー氏の修行時代

これまでの記事では、ドラッケンミラー氏は大学の経済学を好きになれず、大学院を中退したところまで語っていた。

大学の経済学に失望したドラッケンミラー氏は金融業界に入ることになる。遠からず優れたファンドマネージャーとなるドラッケンミラー氏は、就職先で25歳にして株式調査部の部長に選ばれることになる。

その時の話をドラッケンミラー氏は次のように語っている。

わたしの上司は頭のおかしい天才肌の人で、過激なことをするのが好きだった。

わたしの居た株式調査部には10人のアナリストがいて、他の9人はMBAを持っている30歳から40歳くらいの人々だった。

ドラッケンミラー氏は一回り年上の同僚たちを差し置いて株式調査部のトップになったわけである。

それは何故か? 彼は次のように説明している。

ある日、上司がわたしを呼び出して、「スタンレー、お前を株式調査部の部長にする。どうしてか知りたいか?」と言った。頷くと、上司は「18歳を戦場に送る理由と同じだ」と言う。

この人は何を言っているのかと思って上司の顔を見たが、上司は「彼らには突撃をためらう利口さがないからだ」と言った。

その時は1978年で、上司は「君以外の社員は10年間の弱気相場で見えない傷を負っていて、引き金を引くことができない。だから突撃しない利口さを持たない新人が必要なんだ。何故ならば、これからは大きな上げ相場になるからだ」と言った。

1970年代は、ここの読者であれば知っているだろうがアメリカの物価高騰の時代である。そして当時のダウ平均のチャートは次のようになっている。

1970年代のインフレ時代においては米国株は低迷しており、株価がほぼ半値になった1974年の暴落を含みながら長期的には横ばい、しかしインフレでドルが減価したので実質的な価値は3分の1になった時代であったことを以下の記事で説明している。

ドラッケンミラー氏が金融業界で働き始めたのはそのインフレ時代の丁度終わり頃なのである。だからドラッケンミラー氏は次のように述べている。

ちなみにそれは卓見だった。当時、ダウ平均は800ドルだった。

結論

もちろんそんな先見の明のある人がただの25歳を株式調査部の部長にはしなかっただろう。若いドラッケンミラー氏だからこそ、上司の人はそこに置いてみようと思ったのである。この話は著名投資家のインタビュー集『新マーケットの魔術師』でドラッケンミラー氏がより詳しく語っている。

一方で、上司の人の言っていることも事実である。長期の下げ相場を経験した人は、相場がそこから長期の上げ相場に変わっても大きく賭けることが出来ないものである。だからこの時、ドラッケンミラー氏に経験がなかったことが役に立った。

因みにそれは逆についても言える。これまで上げ相場しか体験したことのない人は、下げ相場で株価上昇に大きく賭けてしまう。

そういう未熟さは経験によって乗り越えられる。だから、長年の経験ある投資家なら誰でも知っていることだが、投資人生は大きな下げ相場を経験してからが本番である。それまでは何も分かっていない。損せずに投資で儲けようと考えている人々がどれだけ何も理解していないかということである。


新マーケットの魔術師