ハイエク氏: 金融緩和でデフレを防ごうとすれば経済は悪化する

20世紀の大経済学者フリードリヒ・フォン・ハイエク氏が、著書『貨幣理論と景気循環』で、インフレ政策によってデフレを打倒しようとする考えを批判している。

デフレ打倒のためのインフレ政策

日本では今円安が問題となっている。その原因はアベノミクス以来行われてきた金融緩和である。現日銀総裁の植田氏がそれを段階的に終わらせようとしているが、その速度は円安を止めるのに間に合っていないようだ。

この緩和政策はもともとデフレを打倒するという名目で安倍首相(当時)によって開始された。

しかしその結果のインフレ政策は円安と輸入物価上昇によって見事にインフレをもたらしてしまった。

何故なのか? インフレ政策は何故インフレをもたらしてしまったのか。インフレが起こる前から筆者は「インフレとは物価上昇という意味だ」と何度も繰り返して主張してきたのだが、誰も信じなかった。辞書ぐらい引いてほしいものである。

インフレ政策の何が悪かったのか

だが何が問題だったのか。ハイエク氏の『貨幣理論と景気循環』は1929年に書かれた本であり、世界はまさに世界恐慌のまっただ中だった。そして中央銀行はインフレ政策でデフレを打ち払おうとしていた。

ハイエク氏は次のように書いている。

いま経済ではデフレが進行しており、それが永遠に続けば計り知れない悪影響を及ぼすということにはほとんど疑いがない。

だが、それはデフレが景気低迷の原因であるとか、現在のデフレを人工的な資金注入で打ち消すことでそうした景気低迷を解決できるとかいうことを決して意味しない。

当時も、アベノミクスの開始時と同じように、人々はデフレをインフレに転換しようとしていた。今では人々はインフレをデフレに転換しようとしている。

誰も物価しか気にしていない。そして問題の根源に誰も気付かないのである。

どういうことか? ハイエク氏は次のように続ける。

もしデフレが企業の不採算の原因ではなく結果であるならば、単にデフレをインフレに逆転させることで好景気の永続を達成できると願うのは完全に無意味である。

デフレは何の結果か

デフレは問題の原因ではなく結果である。

経済学において物価とは需要と供給の結果である。インフレは需要に対してものの供給が足りていない状況であり、デフレとは需要以上にものがあふれており買い手がいない状況である。

つまり、デフレだったということは人がものを買いたがらなかったということだ。

何故世のなかには人々の買いたがらないものがあふれているのか? 通常の経済では、人びとの需要を満たせない商品を売る企業は倒産する。

だが人為的な低金利となっている経済では、特にゼロ金利の経済ではどれだけ借金をしても利払いがないので、どれだけ商品が悪くても企業は倒産しない。

そうしたゾンビ企業があふれる経済で、人びとが買いたがらないものがあふれるのは当然である。

更に、それに輪にかけて政府が公共事業によって誰も使わないもの(例えば東京五輪や大阪万博のための建造物)を世の中に量産している。

以前、麻生太郎氏は次のように主張していた。

誰もお金を借りようとしない。少なくとも預金する人は多いけれども借りる人がいなけりゃ銀行はみんな潰れちゃうんですよ。

年間約30兆くらい借りてくれる人が足りない。約30兆。年によって違うけど。誰かがそれを借りてくれない限りは30兆分だけデフレになりますから。それを借りてくれてるのが政府。

だが需要が足りないというのは、誰も使わないものを大量に作るために人的・物的資源を浪費して日本経済に害がないという意味ではない。

経済再建のために本当に必要だったもの

どうすれば良かったのか。ハイエク氏は次のように述べている。

経済が必要としているのはデフレになる前から存在していた要因の再整理であり、その要因とはすなわち生産と物価の構造が、企業が設備投資のために資金を借りても利益を出せないような状況になっていたことである。

人的・物的資源が浪費されているということは、人びとが本当に必要とする商品を作る企業に資源が行っていないということである。その構造が根本原因なのであり、物価の上下という結果が根本原因なのではない。

この状況を解決するための唯一の方法は、人びとが求めないものを大量に生産するゾンビ企業と政府を経済から追い出すことである。

インフレ政策によるバブルとゾンビ企業の延命

しかし日本政府は、アメリカもそうだが、経済が誰も買いたがらない商品であふれている状況で、誰も買いたがらないものを更に量産するという驚くべき対処法を発見した。

その目的のために借金(信用)が大量に積み重ねられた。ハイエク氏は次のように言う。

アメリカなどの国の中央銀行はデフレ政策どころか、これまでにないほど拙速で広範囲な信用拡大政策で現在の不況に対応してきたが、結果として不況はより長く続き、しかもこれまでのどの不況よりも深刻なものになっている。

アベノミクスはデフレをインフレ政策で打ち払おうとした。それから11年、インフレ政策は確かに円安を通してインフレをもたらした。そして問題は何も解決していないどころか、むしろ状況は悪化している。

何故こうなってしまったのか。ハイエク氏は次のように説明する。

しかし過去3年間のバブルによって生じた腫瘍を取り除くという不可避のプロセスを推し進める代わりに、腫瘍の除去を避けるためのあらゆる努力が行われてきたのだが、現在の不況の最初から最後まで行われ続け、しかも何の効果も生み出さなかったものこそが、この意図的な信用拡大政策なのである。

デフレという結果のみを消し去ろうとして本質的な経済の腫瘍を減らすどころか増やそうとする試みは、状況を単に悪化させるだけだろう。

緩和は永遠に続く

アルコール依存症をアルコールを飲むことで治そうとする馬鹿げた治療がもう10年以上行われ続けたのである。

ハイエク氏は皮肉めいた言い方で次のように言う。

不況に人為的な信用拡大で対抗しようとすることは、腫瘍の原因を増やすことで腫瘍を治そうとすることに等しい。

生産の方向性が間違っているから、もっと生産の方向性を間違わせようというわけだ。だがそのようなやり方では信用拡大が終わった途端に更に悲惨な経済危機が生じるだろう。

緩和政策は確かに短期的にGDPを増大させる。政府支出はGDPの一部なので、公共事業で作られたものがどれだけ無駄なものであろうとも、定義上はちょうどその金額分、1円の無駄もなく、GDPを増加させるからである。

だがGDPが定義上増加しようが無駄なものは無駄である。それは国民を幸福にはしない。無駄なものが借金によって作られ続けることで日本円の価値は薄まり、長期的には円安が日本国民に罰を与えるだろう。

日本経済の凋落は始まっている。植田総裁は円安の弊害に最初から気付いているが、それでも彼がこれ以上金利を上げられないのは、以下の記事で説明したように日本経済が既に沈みかけているからである。

低金利政策によって弱った日本の経済構造は、これからの金利上昇に耐えられない。だが金利を上げないと円安で輸入物価はどんどん上がってゆくだろう。アルコールを止められない末期のアルコール中毒者のような状況が、アベノミクスのもたらした日本経済である。

日本経済はこれから沈んでゆく。インフレ政策にこれだけの被害を受けながら、これから来る景気後退においては日本人はまたインフレ政策による救済を求めるだろう。

今でさえ多少生き残っているアベノミクスの支持者たちは、未だに現在の状況がインフレ政策の引き起こしたバブルの弊害だという事実を認めていない。

だがそういう人びとに対しては、100年近く前に書かれたハイエク氏の『貨幣理論と景気循環』に既にふさわしい言葉が用意されている。

これまで金融緩和がバブルの原因だという説明を拒んできた人々が、不況になった途端に不況の原因は金融政策にあると主張し始めたのは興味深いことだ。

そして人びとまた緩和政策が正しいと言うのだろう。

結論

何故最初から結果が見えているインフレ政策を支持してしまったのか。

それはハイエク氏のまったく正しいマクロ経済学が、まったく間違っているケインズ氏のマクロ経済学に押しのけられたからなのだが、ケインズ氏の経済学が主流になった理由は、単に公共事業を肯定するケインズ経済学が政治家たちにとって都合が良かったからに過ぎないのである。

そして国民は、それが自分を害するものであるにもかかわらず、喜んで呑み込んでしまったのである。

経済学は、政治に非常に近い分野であるがゆえに、主流のものをそのまま信じてはならない。そろそろハイエク氏が読み直されるべき頃合いではないか。