グリフィン氏、ハーヴァード大学在学中にヘッジファンドビジネスを始めた話を語る

Citadelのケン・グリフィン氏がスタンフォード大学経営大学院のインタビューで、ハーヴァード大学在学中にヘッジファンドビジネスを始め、その後世界有数のヘッジファンドとなるCitadelを創業できた経緯について語っているので紹介したい。

グリフィン氏の創業秘話

グリフィン氏はレイ・ダリオ氏やジョージ・ソロス氏と並ぶヘッジファンド業界の重鎮の1人だが、彼がヘッジファンド業界でも特に突出しているのが、ヘッジファンドビジネスを始めた時の若さである。

グリフィン氏はハーヴァード大学在学中に祖母や歯科医などから集めた26万5,000ドルで投資を行ない、卒業後にそのままヘッジファンドマネージャーとしての仕事を始めている。

普通、ヘッジファンドを創業するには投資銀行などでトレーダーなどの仕事をしてから徐々に出資者を集めて創業することが多い。ヘッジファンドから始める人はかなり稀である。

グリフィン氏のハーヴァード大学時代

当時、ハーヴァードの学生であったグリフィン氏はどんな人間だったのか。グリフィン氏は次のように語っている。

わたしの専門はソフトウェア工学で、数学も好きだったし、そうした技術を金融の領域でどう使えるかに興味があった。

グリフィン氏が特に興味を持ったのは、現在では金融工学と呼ばれている分野である。

金融工学では、株式を元にしてオプションなどその他のデリバティブの価格が決まる。だから株式の価格が動けばそれに関連するデリバティブの価格も動かなければならないのだが、それは現代の常識である。

だが当時、金融工学の知識は常識ではなく、株価が動いてもデリバティブの価格が動かないこともあった。というか、そもそもリアルタイムデータという概念すらなかった。

もちろん、コンピュータが株価をもとにデリバティブの適正価格を自動で計算してスクリーンに表示してくれる、などということもない。

しかしだからこそ、株価とデリバティブの価格の関係に注目して、株価の変動がデリバティブの価格に反映される前にトレードすることができれば、その分利益になったのである。(こうした取引を裁定取引という。)

グリフィン氏は次のように述べている。

だが普通株と関連するデリバティブとの間の裁定取引をするためには、リアルタイムの株価が必要だった。デリバティブとは、転換社債や転換優先株、ワラントなどのことだ。

1980年代という石器時代には、リアルタイムの株価を知るために衛星アンテナを使っていた。インターネットがなかったので、リアルタイムの株価を得る方法は確立されていなかった。

だが一介の大学生に過ぎなかったグリフィン氏には衛星アンテナはなかった。それでどうしたかと言うと、ハーヴァード大学の寮の屋根に衛星アンテナを立てたそうである。

そうして手に入れた株価データからデリバティブの適正価格を自分で計算し、適正価格から外れているデリバティブをトレードした。

株価が瞬時にデリバティブの価格に反映される今では考えられないが、それは当時他の人が目をつけていなかったトレードだった。

グリフィン氏は次のように述べている。

面白いのは、1980年代後半や1990年代前半にわたしがビジネスを創業してやった仕事は、今の金融の教科書の最初の方に出てくることばかりだ。

当時の最先端の考え方が、今では常識ということになる。グリフィン氏は次のように続けている。

この話は息子とXboxを更新していた時のことを思い出す。数年前のことで、息子は13歳くらいだった。

息子はわたしのことを見つめて、「父さん、父さんはインターネットが出来る前から生きてるんだね」と言った。

Citadel創業

さて、大学在学時から当時最先端の金融工学を駆使して投資をしていたグリフィン氏は、大学卒業後にヘッジファンドを運用することを考え始める。

グリフィン氏は次のように述べている。

わたしに出資してくれた企業はシカゴにあった。本社はニューヨークだったが。シカゴに居た人に個人的に入れ込んでいたんだ。

グリフィン氏の才能を見抜き、グリフィン氏もまた惚れ込んでいた人物が金融業界に居たということである。ヘッジファンドビジネスは縁で始まる。才能を信じてお金を預けてくれる個人が居れば、ヘッジファンドビジネスは始まるからである。

グリフィン氏は、その人物について次のように語っている。

ニューヨーク本社の人々は、典型的なウォール街のビジネスマンだった。パーフェクトなスーツ、パーフェクトなピンクのシャツ、パーフェクトなネクタイ、パーフェクトな白髪の紳士。

シカゴの人は高校の物理の先生みたいだった。

褒め言葉なのかどうかよく分からないが、グリフィン氏の言い方には個人的な親しさが感じられる。

結局、その会社からは100万ドルを預かって1年投資し、70%のリターンを得る。その次の年、460万ドルの出資を得て創業したのが、今のCitadelである。

グリフィン氏は次のように語っている。

彼らはわたしが大学でやっていた投資のパフォーマンスを見て、わたしに出資してくれた。

「やってみて駄目だったらビジネススクールに行けよ」と言ってくれた。

そして今のところビジネススクールには戻っていない。

結論

世界有数のヘッジファンドマネージャーであるグリフィン氏は、ヘッジファンドビジネスを始めた当時のことを次のように振り返っている。

まさかそのまま仕事にするとは思っていなかった。本当はプライベートエクイティファンドがやりたかったんだ。

グリフィン氏が当時使っていた技術は、現在では教科書で教えられる常識となっている。

これはつまり、将来教科書で常識として教えられることを今やれる人がいるとすれば、次のグリフィン氏になれるということである。今の経済学の教科書には、修正すべき箇所がいくつもある。

ヘッジファンドを始めたいと思っている人には興味深い話だったのではないか。結局、ヘッジファンドを始められるかどうかは、自分を信じて大金を預けてくれる顧客に出会えるかどうかである。

レイ・ダリオ氏やスタンレー・ドラッケンミラー氏も、以下の記事で自分の最初の顧客との出会いについて語っているのでそちらも参考にしてもらいたい。