サマーズ氏: 景気後退で財政支出する国はイギリスの二の舞になる

イギリスのトラス首相が辞意を表明した。放漫な財政政策を発表しポンドと英国債を急落させ、支持率を1桁に落としたことで周囲の保守党議員の支持を失ったものと思われる。

デフレだから許されていたばら撒きがインフレの世界では許されなくなるという好例となったが、これはこれから始まるインフレの世界における出来事の初めの1つに過ぎないだろう。

この件をアメリカの元財務長官で経済学者のラリー・サマーズ氏のコメントを見ながら包括したい。

トラス政権の経済政策

まずトラス首相と、トラス首相より先に役職を失ったクワーテング元財務相の政策はどのようなものだったか。

法人減税や高所得者への減税などが頻繁に報じられているが、筆者の意見では一番問題だったのは家計の光熱費に上限を設け、それを超えた分を補填する政策で、クワーテング氏の主張から計算するとその予算は2年間でGDPの10%を超えるものになる予定だった。

イギリスのインフレ率は10%を超えており、その状況でそれほどの規模のばら撒きを行えば財政破綻寸前のトルコのような状況になることは明らかだった。

そして実際にそのようになった。インフレ期待で金利は高騰し、金利高騰は国債価格暴落を意味するので、国債を大量に保有していた年金基金などはパニックに陥った。

そして金利高騰にもかかわらずイギリスの通貨ポンドは急落した。高金利は通貨高要因と思われがちだが、インフレとは紙幣の価値が紙切れになることなので、この動きが正しい。何故ドルについてはそういう動きになっていないかと言えば、以下の記事で説明している。

だがアメリカ以外の国家がインフレ下でばら撒きを行えばこうなるということが、優れた経済学の素養をもったトラス氏の実験によって証明された。実験物理学のように、実験によって経済学の理論を証明する新しい学問の幕開けである。

そしてそれは本当に新しい学問の幕開けになってしまうかもしれない。何故ならば、筆者の予想ではトラス氏に次ぐ新たな(しかも優れた)実験経済学者が次々に出てくるだろうからである。

イギリスの危機はインフレ時代の幕開け

サマーズ氏はBloombergのインタビューで、イギリスの例は特別であるかもしれないと述べている。彼は次のように言っている。

ある意味では、イギリスの例は特殊だ。イギリスはEU離脱を経験しており、与党である保守党内部での特殊な政治的いざこざを抱えており、トラス氏の元々の提案に表れていたような極端な無能さはそうそう見かけるものではない。

本当にそうそう見かけなければ良いのだが、果たしてそうだろうか。日本人は何処かで見たような気がするのではないか。

サマーズ氏はこう続ける。

だがわたしが思うに、この件から世界中の政治家が学ぶべき教訓が2つある。

1つは、信頼は一瞬で失われうるということだ。森を育てるには長い時間がかかるが、一瞬で燃やすことができるのと同じだ。

そして金融市場で政府が信頼を失えば、その損失を負うのは国民である。

サマーズ氏の言うもう1つの教訓は、よりマクロ経済学に即したものである。

債務の先行きが制御不能になり、実質金利が急速に上がるようになると、経済は不況の悪循環に陥る。

債務状況の悪化が金利上昇を呼び、金利上昇が債務状況を悪化させるからである。

だが個人的な意見を言わせてもらえば、実際にはそうなる可能性は低いのではないか。

何故ならば、イギリスが実際にそうした(国債暴落でイングランド銀行がそうすることを強いられた)ように、金利が高騰すれば中央銀行が国債を買い入れるだろうからである。

しかしそれはインフレ下における金融緩和を意味する。そして中央銀行が国債を救った代償として起こるのは、通貨の暴落だろう。

残念ながらイギリスではこの実験は行われなかった。イングランド銀行は国債買い入れを緊急時の短期的なものと表明し、その間にトラス氏は政策を撤回したからである。

国債の暴落か通貨の暴落か

トラス政権がもう少し長持ちしてくれればこの実験結果も得られたのだが、実験経済学の成果を楽しみにしている人は残念がる必要はない。世界には他にも優れた実験経済学者が存在するからである。

国債の暴落か通貨の暴落か、どちらかを選べと言われた時に、政府はどちらを選ぶだろうか。

サマーズ氏は国債暴落の心配をしているが(もちろんそれを国債買い入れで回避すれば通貨危機になることを彼は承知しているだろうが)、実際に起こる結果としては通貨危機の方が多いだろうと筆者は予想している。

何故そう言えるのか? 国民にとってそれがどうであるかは脇に置いて、政治家にとっては通貨暴落は国債暴落に比べて大した問題ではないからである。

政治家が何を目的に政治家をやっているのかを考えればそれはすぐに分かる。

政治家の仕事は国民から税金を徴収して自分の票田に再配分することである。元々は単に税金から票田にばら撒いていたのだが、結果として経済が停滞してくると税金だけではなく借金を行なってばら撒きの予算を確保するようになった。

彼らにとって、国の借金は何のデメリットもない打出の小槌だった。Bridgewaterのレイ・ダリオ氏が次のように述べていたことを思い出したい。

歴史を見れば明らかだが、政府が経済的に国民を守ってくれると信頼してはならない。実際は逆であり、ほとんどの政府はあなたが同じ立場だったらそうするであろう同じ理由で、貨幣と債務の創造者かつ使用者としての特権を乱用するだろう。それは政治家は国家の長い生涯の一部分だけを担当し、その時の状況に応じてやりたいことをやるからであり、誰も最後まで責任を持つ人間がいないからである。

政府債務が政治家にとって打出の小槌であるのは、後でインフレになろうが通貨が暴落しようがその政治家が自分の任期にばらまきを行う妨げには一切ならないからである。

こうした政治家たちが「国の借金は(彼らにとって)問題ない」ということを喧伝し始め、一部の馬鹿たちはそれを信じている。

大変面白いことだと思うのだが、日本では自分から税金を徴収して好きなように使う人間を支持することが流行っている。彼らは自分の給与から半分以上を抜き去ってゆく盗人を感情的に支持しているのである。

以前、以下の記事で筆者は自民党支持者のことをストックホルム症候群だと呼んだ。

一部の読者はこれを筆者のいつもの皮肉だと受け取ったようだが、自民党支持者がストックホルム症候群であるというのは皮肉ではない。事実である。

皮肉とは事実と正反対のことを言うことである。自民党を選ぶなんて、日本人は本当に賢明な民族だ。

だが政府の借金は日銀が引き受けてくれても、愚かさのツケだけは自分で払うほかない。それが金融市場の素晴らしいところである。日本円が暴落して問題になっているが、問題は短期的な下落ではない。

日本人が自分を害する自民党を選び続ける限り、日本円は今後10年から20年で完全に暴落して紙切れになるだろう。日本は恐らく国債暴落(政府の損)ではなく通貨暴落(国民の損)を選ぶことになる。それがストックホルム症候群の結果である。

アメリカはどうなるか

日本の結末は分かりやすいが、アメリカがどちらを選ぶかということが投資家にとっても問題になる。

アメリカは、今のところ金利上昇を選んでいる。だが来年は試練の年になる。

これまで株式市場を痛めつけていた利上げに終わりが見えたとして喜ぶ向きもある。

だがサマーズ氏はこう言う。

市場はこれから長期のスタグフレーションが起こるということをほとんど決まったシナリオを見なしており、わたしもそうなると考えている。

物価は高止まりし、景気は後退する。そしてそれに対抗する手段はほとんどない。サマーズ氏はこう続ける。

財政刺激の大砲を既にあまりに強く撃ってしまったために、次の景気後退における財政政策の余地は限られてしまっている。

インフレ下の財政刺激はイギリスのシナリオだからである。

結論

今、アメリカが通貨暴落ではなく高金利を選べているのは、金融引き締めの影響がまだ実体経済に出ておらず、アメリカ経済が「まだ」深刻な不況に陥っていないからである。

それでも日本人よりは賢明だということは言えるのだが、金融引き締めで本当に現在8%のインフレが2%まで下落するならば、1%台の経済成長率は恐らくマイナス5%以下に低下し恐慌になる。

実際には、インフレが下がりきっていない間に金融緩和に転換する可能性が高いだろう。

それは遂に起こるドル暴落のシナリオを意味する。著名投資家たちは既に準備を始めている。