サマーズ氏: 米国経済はソフトランディングに近づいた

アメリカの元財務長官で経済学者のラリー・サマーズ氏がBloombergのインタビューで最新の雇用統計にコメントし、アメリカ経済のソフトランディングの可能性に言及している。

雇用統計は悪かったか?

金曜日に発表されたアメリカの雇用統計では、遂に失業率が徐々に上昇し始めたことが明らかになった。失業率のグラフは次のようになっている。

筆者はこの数字を、インフレ減速後に当然起きる大量失業の前触れというように捉えた。

だがサマーズ氏はそうは捉えていないようだ。彼は今回の雇用統計について次のようにコメントしている。

良い数字だったと思う。予想をわずかに上回ったが強すぎない雇用の拡大と、週平均の労働時間が増えたことも良い兆候で、経済は引き続き強いように見える。

確かに失業率は上がったが、働く意欲のある人が増加し、労働市場に流れ込んできたことによるものだ。

コロナ後のアメリカの人口推移

しかしそれは良い兆候だろうか。アメリカの人口の推移について少し振り返ってみたい。アメリカの生産年齢人口(15歳〜64歳)は次のように推移している。

コロナ後に生産年齢人口が減っているが、これは主にコロナによって移民流入が制限されたことによる。だが2022年からは移民流入の数が回復したことによって増加トレンドに戻っている。

そして今回、労働市場への流入が増えて失業率が上がったのは、この人口増加トレンドの結果である。増えた分の人口が仕事に就けていないのである。

問題はインフレかデフレか?

筆者とサマーズ氏の見方の違いは、今のアメリカ経済の問題への見方の違いに起因している。

サマーズ氏は当然、今のアメリカ経済の問題をインフレだと考えている。問題がインフレであれば、移民が流入して労働者が増えれば、労働市場の需要と供給の関係から賃金を低下させるので、インフレ抑制に繋がる。

だからサマーズ氏は労働市場への流入が増え、賃金の上昇率がそれほどでもなかった今回の雇用統計を歓迎している。

だが筆者は今の状況を少し違うように考えている。インフレに関するジェフリー・ガンドラック氏の言葉を思い出したい。

インフレ率が9%が2%まで極めて急速に下落するならば、下方向に行き過ぎると考えない理由が何かあるだろうか?

何故2%で止まるのか? そこに何か魔法でもあるのか?

長期的にはインフレ抑制に失敗し、インフレ第2波が起こるのかどうかが確かに問題である。

だが短期的には、9%から現状で3%まで下がったアメリカのインフレ率が、どうやって2%近辺で丁度良く止まるのかということが筆者にとっての問題となっている。

政策金利の行方

Fed(連邦準備制度)はインフレ退治のために政策金利を0%から5.25%まで引き上げた上で、この水準の高金利を長らく保つと言っている。

だがそんなことは有り得ない。1970年代以後のインフレでは、強力な引き締めでインフレを退治したポール・ボルカー議長の時代(当時のインフレ第3波)でさえ、インフレ率が落ちれば政策金利もそれに従って落ちている。当時のインフレ率と政策金利を並べると次のようになる。

1年以上横ばいになった時期などない。何故ならば、経済にとっては政策金利からインフレ率を差し引いた実質金利の水準が重要なのであって、政策金利が同じでもインフレ率が変われば実質金利は変わってしまう。

だからパウエル議長が「高金利」の意味を「高い名目金利」と勘違いして、インフレ率が下がっても政策金利を維持する場合、それらの差である実質金利はインフレ率の低下によってますます高くなってゆく。

それはインフレを放置すればインフレが加速する理屈と同じである。式を見よう。

  • 実質金利 = 政策金利 – インフレ率

政策金利が同じでも、インフレ率が高くなれば、差し引きの実質金利はどんどん低くなってゆく。だからインフレは放置すれば加速するのである。

そしてまったく同じように、インフレ率下落に対して政策金利が同じ位置に留まれば、上の式から実質金利は自動的に上がってゆく。インフレ低下によって実質金利は自動的に引き締め的になるのである。

結論

サマーズ氏の言う通りインフレが問題なのであれば、移民流入による賃金の低下は良い兆候だろう。

だが筆者には、失業率上昇は移民流入の受け皿になれる強さがアメリカ経済から失われてきている証拠のように見える。ハイエク氏の言うように、インフレ減速後の不可避のトレンドが大量失業ならば、このタイミングでの移民流入は失業問題をむしろ悪化させる。

サマーズ氏は次のように述べている。

ソフトランディングへの道のりは険しいと引き続き考えているが、今回のデータはそこへの一歩であることは確かだ。

だがそうなるだろうか。他の専門家の意見も参考にしながら、アメリカ経済を眺めてもらいたい。