中国株暴落で中国経済はどうなるか?: 景気減速の原因と中国経済が日本のバブル崩壊時に似ている理由

中国株安については7月11日に上記の記事で報じたが、上海総合指数は結局5178から2850まで下がった。記事を書いた当時、中国株は一度リバウンドし、4000近辺をうろうろしていたが、予想通りそこでは止まらず2000台まで下落した。

これまで書いてきた通り、中国経済のバブルとは地方政府の債務や理財商品、不動産のことであり、株式のことではなく、投資家の目線は株価自体よりも中国経済そのものに向かっている。世界の経済成長の多くの部分が中国によってもたらされてきたのだから、その懸念は当然である。したがってこの記事では、頭打ちを 迎えている中国経済はこれからどうなるのか、長期的に成長の余地がまだあるのかを考えてみたい。

中国の経済成長

中国経済は目覚ましい発展を遂げてきたが、近年の経済指標では低迷が見られる。完全なフィクションである中国政府発表のGDPを除けば、比較的信頼できるとされる発電電力量や鉄道貨物輸送量、輸出入などは軒並みマイナスとなっており、成長の頭打ちが見られる。これは中国の経済がこれまで使ってきた成長要因が限界に来ているということである。

中国経済は日本の高度経済成長期と同じく、必要なインフラを政府主導のもとで作り上げてゆくことで成長してきた。また、先進国よりも低い為替レートと賃金を利用して、世界の工場となることで輸出によって外貨を集めた。

これらの事実は小難しい経済学などではなく、直観的に理解可能である。経済発展が途上にある国においては、主要な都市を結ぶ高速道路や線路など、いずれにしても必要になるインフラが存在する。その国の国民にある程度の建設の能力がある限り、政府が資金を持って来ればインフラ建設は経済成長を支えてゆく。

輸出についても同様である。国民にある程度の工作能力があれば、作り方を他国から持ってくることで中国は世界の工場となることができた。為替と賃金が先進国よりも低い限り、これも経済成長を支える要因となった。中国国民にとりあえずそこまでの能力があり、中国共産党にそれを進めるリーダーシップがあったために、中国はこれまでの経済成長を享受できたのである。

日本の道を辿る中国

しかしながら、これらの成長要因は無限に湧き出るわけではない。必要なインフラが建設しつくされ、経済成長に伴い賃金と為替レートが上昇すれば、これらとは別の成長要因が必要となる。これは日本が辿った道であり、中国もこの岐路に来ているということである。

先ず、インフラ需要についてはどうしようもなく有限である。例えて言えば、冷蔵庫や暖房が家にない人々はそれらを買うために必死に稼ごうとするかもしれない が、掃除機を持っている人々が掃除ロボットを必死に手に入れようとするかどうかと言えば、そうではないということである。必要なインフラを作り尽くしてし まった後は、不要なインフラを作るしかない。日本の自民党は未だこの道を進んでいる。

不要なインフラを作ることは必ずしも悪ではない。実際の作業を伴い、従業員の経験値を上げるという意味で、単なるベーシックインカムや地域振興券よりも優れた面があると個人的には考えているが、それでも有用な、実際に利用されるインフラを作ることに比べれば経済効果は大幅に下がる。

先進国とは基本的に物が余っているのであり、人々が現状あるも ので満足しているということである。これは供給過剰、需要過小ということであり、その当然の帰結はデフレである。だから先進国のデフレとは必ずしも悪いことではないが、投資家にはマイナスであり、中国も発展すればするほどこの領域に近づく。

インフラ需要を更に上げる方法としては人口を増やすことが考えられるが、人口は国家予算の振り分けほどに操作可能ではなく、また、これまで13億人の人口のためのインフラをほぼゼロから作ってきたことを思えば、これが1億2億増えたところでこれまでほどの経済成長がもたらされるわけではない。

輸出

一方で、成長の余地があるとすれば輸出である。スマートフォンやパソコンなどの部品を作る、世界の工場として発展してきた中国の輸出業は、しかしいまだ下請けの部品工場としての域を脱していない。確かに部品としては多くのものがメイド・イン・チャイナとなっている昨今ではあるが、家電においても電子機器にお いても、完成品のレベルで米国、日本、韓国などのシェアを奪えているとは言いがたい。

そこで問題は、中国国民には部品を作る能力はあっても製品を作る能力はないのか? ということである。これはもはや経済分析ではなく、国民性の分析の問題である。

個人的には、中国国民には少なくともまともな家電や電子機器を自前で作る能力はあるのではないかと思う。安かろう悪かろうの現在の中国製品ではなく、まともに使える程度の品質を確保できるのではないかということである。

現在の状況がどうあれ、景徳鎮で磁器を発明して世界に広め、日本よりも早く文学に親しんだ民族である。日本や韓国の家電産業と同等のものは遅かれ早かれ作れるようになるのではないかと思う。それが可能であれば、中国製の車やテレビ、スマートフォンなどが韓国製や日本製などと同じくらいのシェアを獲得するまで は、中国経済に伸びしろがあることになる。

コモディティ的工業品のその先

「誰でも作れるものを良い品質で作ること」は日本や韓国が乗り越えてきたハードルであり、ここまでは中国経済に許された成長余地であると言えるだろう。しかしその後のハードルは、日本も韓国も超えていないものであり、米国のシリコンバレーように新たな産業そのものを作るということである。例えばスイスなどは、医薬品など少人数でも開発できるものに特化することで乗り越えたが、日本も韓国もここを超えられているとは言いがたい。中国にとっても同様だろう。

ここで言いたいのは、中国経済の少なくとも一部にはまだ大きな伸びしろがあるということである。しかし、一番大きなドライバーであったインフラ建設の成長率はもう戻ることはない。これまでのインフラ建設のための債務も膨大であり、この借金を返すために中国経済は大幅な調整を強いられるだろう。日本で言うところの「失われた20年」である。

バブル期の日本と現在の中国

個人的には、今の中国はどうしてもバブル期の日本と被るのである。中国株の暴落に対する中国政府の強引な対応を日本人は笑っているが、1987年のブラックマンデーの時に日本政府が同じことをやっている。ジョージ・ソロス氏は彼の著書「ソロスの錬金術」で当時のことを以下のように書いている。

ブ ラックマンデーの次の日、日本市場が開く前に大蔵省が何本か電話を入れると、市場の売り注文は直ちに消え、主要な企業や機関が積極的な買い手となった。その後、政府による巨額のNTT株の売り出しが市場を慌てさせたが、当局は再び介入し、主要な4つの証券会社に自己勘定で取引する権限を与えた。公式に市場を操作する許可を与えたわけである。

今となっては信じられないかもしれないが、当時、日本はアメリカを追い越して世界一の経済大国になり、先進国の長として世界を支配してゆくと本気で信じられていた。ソロス氏は同じ著書で、イギリスと米国に続く日本の覇権を本気で議論していた。

日本は成長路線を突き進んでおり、わたしたちは落ち目である。問題は、米国やその他の国が、強い国民意識を持った異文化の日本という国に統治されることを良しとするかどうかである。

しかしながら、今となっては皆が知る通り、そういった考えは絵空事であった。中国についても同じ気配を感じている。

結論を言えば、中国経済は世界が思っているほどに大きな影響力を持つわけではないが、投資家が思っているほどに停滞するわけでもないということである。

中国政府の経済指標を含め、政治の世界の数字や考えはイデオロギーで歪められたものが多いが、投資家としては客観的なものだけを取り入れてゆきたいと思う。政治の世界の茶番は政治家に任せておけば良いのである。


新版 ソロスの錬金術